夢遥  ゆめはるか

(全日本美術『今月の課題』1996〜2005年を単行本に)
全日本美術編集主幹 松原清 著  A5版 272頁 定価2000円

今月の課題 「今こそ〈創〉の精神の復活を」  編集主幹 松原 清

 「つくる」という言葉がある。世の中には様々なものがつくられ人々に供されているが、歴史的な文化の発展過程には原理の発見に始まり、その原理の応用・組み合わせによる創造、創作が常に根底にあった。人類は太古の昔からそうした発見、発明の繰り返しで現在のような文明を築き上げてきた訳であるが、何かの発明がなされると必ず便利な使用法が考案され、後に世の中に行き渡って特定の創造者の手を離れ一般化する。つまり、つくられたものはよほど特殊なものでないかぎりこの三段階の過程を踏んでいるといえるだろう。こうしてつくられたものは、長い歴史を耐え抜いてメチエ(技巧・技術・技法)として現在まで残っているものも数多くある。


 さて、つくるものの範疇の一分野として芸術を考えた時、前述の三段階の法則がうまくあてはまるであろうか。賢明な読者は既にお気づきと思うが、日本語の漢字で「つくる」という文字が三つあるということを思い出されたであろう。「作・造・創」である。文明・文化の流れからいえば、先ず「創」ありきなのである。「創」の文字の倉は蒼・臓または滄に通じ、音を表す。右の「咳」は刀である。刀で刻みを入れて物事が始まる。つまり無より有を生むことを表しており、芸術では「イズム(主義)」が広義において「創」にあたる。

 

例えば印象派、立体派、表現派などが当時の主流から脱して生まれたのがそれで、そのイズムを信奉するグループによりさまざまな試行を実施することが「造」にあたるのではないだろうか。そこから体系づけられて一種のメチエを確立していく。そうして既に確立されたメチエを使ってつくりあげることが「作」であると考えることができよう。文字の成り立ちからいっても「造」のシンニュウは「歩く」意。告は之と口を合わせた文字で、出掛けて行って話すこと。ここから「至る」、「成功する」の意を含むと同時に、現在ある物を応用して成し遂げるという意に繋がっている。「作」は人偏に乍と書く。乍には物事を始めるという意がある。従って「作」は人の動作であり、事を起こす意。事を起こすには今ある手段を用いるのが現実的である。


 無から有を生み出す「創」。誰にでも出来ることではない。多くは天才的な「ひらめき」のもとに始まるといって良いだろう。特に芸術は精神表現の具現化である。突き詰めた狂気の狭間に初めて自分が見えてくる場合もある。だが、それにしても今まであったイズムの延長上のものかもしれない。歴史の流れは確かに「創・造・作」で発展したが、人はその時代のメチエを学び「作」、応用する能力を蓄えて「造」、次のステップ「創」に挑戦してきた。いわば全く逆のサイクルで人は生き、学び、そして土に還る。飽くなき「造」の試行の果てに「己」の極みの精神を作品として残すことこそ個としての最大の「創」なのではないだろうか。


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今月の課題