夢遥  ゆめはるか

(全日本美術『今月の課題』1996〜2005年を単行本に)
全日本美術編集主幹 松原清 著  A5版 272頁 定価2000円

今月の課題 「〈菜根譚〉を書す心」  編集主幹 松原 清

 「棲守道徳者、寂寞一時、依阿権勢者、凄涼万古。達人観物外之物、思身後之身。寧受一時之寂寞、母取万古之凄涼。」


 これは、書家の作品制作によく引用される「菜根譚(さいこんたん)」の一節である。ご存知の読者も多いと思うが、「菜根譚」は明の万歴年間(1573〜1619)の人、洪自誠が残した随想集(前・後集)であり、前集では社会生活の処世術というか、心得が記され、後集では社会の枠組みから外に身を置いた時の風月を友とする楽しみが語られている。洪自誠の経歴は一切わかっていないが、斜陽の明帝国の政治の乱れに愛想を尽かせて隠退した官僚の一人ではないかと云われており、官僚時代の苦い経験に基づいて人として生きる本来の姿を清冽な倫理観で綴ったものである。底に流れているのは清貧の思想であり、フェビアン主義的なにおいもするが、官僚体制下でのしたたかな処世の知恵としての側面も持っている。後集にはのびやかな死生観も語られており、一見矛盾しかねない視点が、生活の場を設定することでみごとに統合されている。


 さて、頭記の一節だが、意は「道を守って生きれば孤立する。しかし、それは一時的なことだ。権力に媚びればその場は平穏かもしれぬが、一生孤独感に嘖まれる。目覚めた人は一時の孤立を恐れず理想に生きるべきである。」殆どの人が気持ちでは理解できるだろう。だが、現実は簡単なことではない。400年も前に書かれたことが、現在でもピッタリとあてはまる。

 

 政治にしても、経済にしても、また芸術の世界に於ても権力指向のピラミッド体制である。権力に媚び、ひいては派閥争いに終始する現実がある。どこを向いても自己中心主義がまかり通り、テレビ、週刊誌などマスコミがそれをあおる。この度の民主党の党首選挙も正にそれを絵に描いたようだ。道徳とか良識は全く隅に追いやられてしまった。


 そうしたことを改めて思い起こさせてくれる一冊が「菜根譚」である。私も書作品点評の参考にと、数冊訳本を手に入れて折々に頁を繰っているが、墨場必携から字面で撰ぶのではなく、本を読み、一節の真意に共鳴したものを書して欲しいと思う。好きな道に打ち込むのなら貧乏暮らしは覚悟の上、美の表現に生きるはずの芸術家が、政治家のようになまぐさい勢力争いや財産づくりに血眼になっているのはいただけない。


 最後に、芸術の道に関する名文をひとつ。「人心有一部真文章、都被残編断簡封錮了。有一部真鼓吹、都被妖歌艶舞湮没了。」  


 残暑厳しき折り、いよいよ都美術館の改修工事の影響が弊紙の編集にも絡んできました。各団体の展覧会会場と開催時期が変わり、紙面取りに混乱が生じてきています。新聞16頁は4枚綴り、夏の収録展覧会の数が減少し半端となり、今回12頁編集となりました。ご容赦の程お願い致します。また、東京支局が1面右上の住所に転居しました。


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