夢遥  ゆめはるか

(全日本美術『今月の課題』1996〜2005年を単行本に)
全日本美術編集主幹 松原清 著  A5版 272頁 定価2000円

今月の課題 「年賀状」  編集主幹 松原 清

 新年の挨拶を、賀状として行うようになったのはいつ頃からだろうか。その始まりを正確には知らないが、恐らく郵便制度が定着した明治の中期頃ではないかと思う。江戸時代、またそれ以前にも、一部裕福な階層に於ては、高額な通信手段(飛脚など)を使うことで新年の手紙のやりとりがあったと考えられるが、国民的な催しとして定着した背景は、やはり郵便制度により「はがき」が生まれ、廉価で確実な通信手段が一般化したことに依ると思う。外国にもクリスマスカードの交換があるが、平素、ともすればお互いに疎遠になりがちな人が交情を暖めるのには極めて便利な習慣でもある。そう判っていながら、なかなか書ききれなくて1月1日に届くという期日までに間に合わなくなる私自身の年賀状は一寸棚に上げさせていただいて、今回は年賀状について記してみたい。


 最近は、印刷されたものが殆どだが、賀詞のあとに余白をつくって自筆のメッセージを書き込みたいものである。流石に市販のスタンプを押したのみの賀状はなくなったが、印刷だけのものをいただいてもあまり心が通わないし、ありがたみもないと自分自身が思っているとおり、受け取った相手もそう思っている。時代の流れで、パソコンで作った賀状も急増している。それが自分宛に特別に作られたものなら、私はパソコンもいいと思う。

 

また最近のデジタルカメラの普及は目覚ましく、家族の写真などを入れた賀状も簡単に手作り出来るようになり、工夫しだいでは素晴らしいメッセージになる。要は出す側の心配りが感じられるものがいいと思う。版画スタイルのものも独自性のあるデザインだとずっと残しておきたくなる。


 さて、筆で完全自筆の年賀状となるとなかなか見あたらなくなった。書家の人達でさえ印刷で済ましている場合も多い。書の専門家なのだから、せめて完全自筆といきたいところだが、そうならないところに書道の変遷の根幹が隠れているようにも思う。書の素晴らしいことを世間に示す絶好の機会であり、それが書を広げる草の根運動の最たるものと思うのだが…。墨の香りがする筆文字の賀状はやはりいいものなのである。私も、いつからか気に入った賀状とそうでないものを分類して輪ゴムで整理している。達筆でウイットのある文面、構成の良いものは当然最上ランクに位置し、例えば返信用にそのアイデアをこっそりいただいたりすることもある。ちなみに私の賀状は干支の金文を籠文字で抜いて構成し、メッセージスペースをとったもの。12月の最終締め切りにいつも追われるため、元旦に着かないことを見越して平成○年正月と書いている。賀状の心得では、正月という記述はないとのことだが、病気中の人、賀状を出していなかった大切な人への返信はすべて自筆で出すのが礼儀とのこと。喪中欠礼の挨拶、その返信、喪中と知らず出した折りの詫び状、一方的な商業儀礼の対処など、一応の礼儀は知っていても損はない。


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