夢遥  ゆめはるか

(全日本美術『今月の課題』1996〜2005年を単行本に)
全日本美術編集主幹 松原清 著  A5版 272頁 定価2000円

今月の課題 「『孫子』に学ぶ」  編集主幹 松原 清

 弊紙の本社事務所を25年間親しんだ神戸駅の近郊から、三宮そごうの近くに移転して早1年になろうとしている。交通拠点として随分便利になったが、まだ以前の住所のまま転送されてくる郵便物が多い。一年間の郵便の転送期間が終わろうとしており、改めて本紙一面右上の住所に名簿の書き換えをお願いする次第です。さて、今回は『孫子』について記してみたい。


 『孫子』の兵法と言えば、バブル全盛の頃の書店の店頭を賑わした記憶が残っている方も多いと思う。太平洋戦争の日米戦略、戦術に『孫子』の兵法がよく引き合いに出されるが、悲しいかな東洋で生まれた兵法の極意は日本ではなくアメリカで活用された訳で、皮肉な話である。


 元々中国の思想は合理的であり、物質的、精神的な体系を網羅したバランスがある。日本軍部は戦力の基礎である「彼を知り己を知れば百戦殆(あや)うからず」を無視し、敵国語と称して『英語』を禁止するばかりか、外来語として定着しているカタカナの言葉も読み変えてしまうという愚行を実行している。一方、日本という国と国民性を徹底的に研究し、行動パターン、暗号といった戦う前になすべきことを着実に実施してきたアメリカ、その合理的な考え方が『孫子』の教えるところの始計(しけい)、用奸(ようかん)にすべからく合致しているのである。二千数百年を経て、社会体制も戦争の仕方も全く違ってしまっている現在もなお、『孫子』の兵法が会社の経営管理、人の動かし方として活用され、果ては個々の水先案内として座右の書となっているのは、それが単なる戦争の技術ではなく、闘争という場で人間の心と行動を見据え、勝負の域にまで体系づけられている故であろう。

 
 兵法の開祖は、周の建国に尽力した大戦略家呂尚(りょしょう : 釣り人の別称「太公望」で知られる)が、伝説化されており、実質的な創始者といえばやはり孫子ということになる。


 『孫子』の「子」は古代中国の男性の敬称であるから、「孫先生」。『孫子』は春秋時代の末期(前六世紀末)、孔子とほとんど同時代に生きた孫武の著である。戦国時代の中頃(前五世紀末)、斉の軍師であった孫  (そんぴん:孫武の子孫とも伝えられている)の著ではないかと言われていたが、1972年に山東省臨沂で発掘された漢代の墓から『孫 兵法』とみられる竹簡が出土して一件落着となったとのこと。今、伝えられている『孫子』は、周知の三国志の雄、巍の曹操が整理し注を付けたもので十三篇に分類されている。小説三国志では悪玉扱いされている曹操だが、史実の中では傑出した名君であったことは、『孫子』の自らの編纂をみても想像できよう。


 人が大事をなすには、道・天・地・将・法の五事と彼我の人間的資質の比較の七計が挙げられており、政治戦略、経営戦略として実に有効なチェックリストである。
 晩秋の夜長、『孫子』の一説を個々に読み返すのも何かの展開のきっかけとなるかもしれない。


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