夢遥  ゆめはるか

(全日本美術『今月の課題』1996〜2005年を単行本に)
全日本美術編集主幹 松原清 著  A5版 272頁 定価2000円

今月の課題 「日本の文字文化 U」  編集主幹 松原 清

 歴史は常に勝者の歴史が後世に残されるといって過言でない。日本の古代歴史書などの焚書が行われたか否か、は後にゆずるとして先ずは、日本の古代遺跡に眼を転じてみよう。


 平成6年、三内丸山遺跡から直径約1メートルの栗の巨木を使った建物跡の発見で、一躍注目を浴びたが、BC
3500年〜BC2000年の実に1500年間に亘る長期間続いた集落で、これまでの日本の縄文時代の常識を大きく変えた数々の発見がなされた。漆器が既に作られ、い草で網代編みされた籠もあった。豆類やエゴマ、瓢箪なども栽培され、発酵果実酒もつくられていた。現地にはない翡翠や黒曜石、琥珀の発見から他の地域との交流、交易が行われていたことが判ってきている。もちろん縄文土器も多く発見されているが、土器といえば長崎県福井洞窟の第三層から出土した「隆線文土器」がある。土器と共に発見された木炭を、カーボン測定法(放射線減衰法)により調査したところ、1万2700年+−500年前という結果も出ているし、その近くの泉福寺洞窟で発見された「豆粒文土器」は、「隆線文土器」の下の地層より発掘されており、世界最古とされてきたメソポタミアの土器より実に7000年も遡っているのである。


 日本の文化は弥生時代以降に大陸からすべてもたらされて、それ以前は野蛮人で狩猟民族であったとした今までの社会科教育は根本から覆ることとなる。

 

 前述の年代調査に誤りがないとすれば、日本の縄文文化は世界の新石器文化の中で最も古い文化であるということが言える。これまで世界最古とされている殷墟で発見された布(BC.1600年頃)も、日本では宮城県三王遺跡(BC.1000年)、新潟県堂平遺跡(BC.3000年〜2000年)で発見されており、縄文人は世界に先駆けて定住生活を可能とする大文化を築き上げていたと推測できるのではないか。そして、高度文明の最大のものが「文字」の痕跡であろう。


 その一番手は、下関・彦島で発見された古代岩刻文字(ペトログラフ)である。俗に杉田古墳と呼ばれる遺跡に残されている大きな岩の表面に、世界最古の文字とされる古代シュメール文字と思われる文字が明瞭に刻まれているのが発見され、考古学上の物議をかもしていた。それは、粘土板を区切った整然としたものでなく、シュメール文字よりもかなり稚拙なもので、解読作業が一部研究者で進められているとのことだが、日本の古代山岳部族の文字と云われているサンカ文字でも、中国の甲骨文字でも一部読めるという研究発表も行われているようである。そして、このペトログラフは彦島だけのものではなく、新石器時代の遺跡としても注目された福岡県豊前市の明権現山麓の磐座をはじめとして、別府米神山の「京石」、阿蘇外輪山押戸山山頂等、北九州、山口県より109カ所ものペトログラフが発見されているのである。これほどの発見を単なる子供のいたずらでは済まされないであろう。少なくとも縄文後期には日本に文字の文化が存在したと考えてはいけないであろうか。(続)


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