夢遥  ゆめはるか

(全日本美術『今月の課題』1996〜2005年を単行本に)
全日本美術編集主幹 松原清 著  A5版 272頁 定価2000円

今月の課題 「如何に死ぬか」  編集主幹 松原 清

 還暦がすぎて新しい年を迎えたが、ちょっとだけ自分の生き様を考えた。何事につけて一生懸命やってきたと自分自身は思っているが、果たしてこれで良かったのだろうか。過ぎ去ったことは今更変えることは出来ないが、少なくとも経験や学んだ知識をどう活かしながら、残りの人生を生きるべきかと。一度かぎりの人生である。何か生きた証を残したいと思うし、その思いに沿って生きていければ最高である。
 人は生まれた瞬間から、死に向かって生きている。
 「人間は死に向かっての存在である」と云ったのは、ドイツの哲学者ハイデッガーである。彼はキルケゴールの影響を受け、フッサールの現象学の方法にもとづき、人間存在の根本構造を時間性として実存論的に分析した。また、その著書『存在と時間』の中で、人間存在の根本構造を説く中で、人間の本質を追求し、その存在を、他の生物と違うことを論じている。それは、『人間が、自ら「必ず死を迎えることを知っている生き物である」と認識していることであり、自分が「自由である」ことを意識している生き物でもあることを。この「自由」とは、肉体的なことでなく、理性ある「意思」であり、人間は自らの存在を、自分で形成していく、「自己実現」に向かって、責任を負わされている生き物である。』と。

 

 そんな小難しいことを考えたこともない、と言う人も多いだろう。しかし、思う思わないにかかわらず、人は「自由」であるが故に自分の存在を自分自身で決定していかなければならないという課題にいつも直面している訳であり、その決定で自分史が刻まれていっているのである。必ず死は訪れると、自分の中に確固たる意識を持った人が、本当の意味で、「人は何の為に生きるか」と云う目的意識が明確になって来るのであろう。
 「いかに生くべきか!」なんて夢を語っていた若い頃は、「死」を意識することはこれっぽちもなかった。何になりたい、そのためにどこどこの学校へ行きたいが関の山で、学校に入ったとたんにその目的意識もあやふやになるのが殆どで、流れに流され、思いとは異なる職業に就いてしまう。しかし、これもある意味では与えられた試練といえる。
 現在美術を一生の仕事と思われている方々も、何かの縁でその職業を選ばれたはずで、ここに至るまでの紆余曲折は少なからずあったことだろう。しかし、好きだからこそ続いている。という大前提のもと、それぞれの目的意識を再認識することは重要なことと思う。   
 作家は死んでも作品が残る。と云う。果たしてそうだろうか。美術史の流れに沿う名作は確かに残るだろう、その殆どは忘れ去られるのである。一番大切なのは、命をかけて作品に向かった意思なのである。それを知る僅かな人の手に残ることでも良いではないか。名誉も名前も同じである。「名」を残すのは、多くの人にその死を惜しまれることである。正に「如何に死ぬか」は「如何に生きたか」と同義なのである。


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