夢遥  ゆめはるか

(全日本美術『今月の課題』1996〜2005年を単行本に)
全日本美術編集主幹 松原清 著  A5版 272頁 定価2000円

今月の課題 「古い手紙の草稿から」  編集主幹 松原 清

 二日ほどかけて大掃除と家の中の整理をしたのだが、その時古い手紙の草稿をみつけた。それは、石彫作家の鈴木政夫さんから送られてきた1冊の雑誌「ストーンテリアVol.36」についての感想、意見を綴ったもので、多分15年以上前と思われるが、案外今の考えとずれはない。原文に少し加筆して石彫に関する思いの一端を改めて述べたいと思う。

  「……二日前に〈ストーンテリアVol.36〉拝受しました。早速読んでみましたが、実に総花的です。建築、インテリア、彫刻、広場、科学、文化財等々から石の魅力に迫ると題された本なので、ある意味仕方ないとは思います。〈環境アート〉の座談会では、『最近街中にモニュメントやそれに類するものが増えているが、程度の低いものがやたら多い』と高瀬昭男氏が発言していますが、何をもって程度の高低をはかるのかが全く語られていません。そこには、コンセプト、美意識、技術的裏付け、そして正にどんな環境のもとに置かれるかというフィッティングが語られるべきで、公共の場か居住地域なのか屋外か、屋内か。屋外なら自然の中なのか否か、住民の意見や関心はどうなのか等々から分析する必要がありますが、〈環境アート〉のスポンサーのいいかげんさ(特にお役所仕事の劣悪さ)が、とんでもないコンクールを作ってしまっていることを、もっと掘り下げて論ずることが重要だと考えます。結局、環境とは生活そのものだと思います。居住空間だけが生活の場ではなく、とりまく公共の場も自然も生活の重要な場であるという意識です。

 

一般的には殆ど無意識に本来の美観は継承されていると思いますが、それはパリやロンドンの美ではなく、あくまで日本という環境の中の美であり、互いの美は意識として通じるところが多くありますが、同一ではない。で、日本とは、日本人とは何かという処へ行き着いて、そこが美の出発点となる。いや、ならざるを得ないと思うのです。また、〈環境アート〉の一例として、石の野外彫刻が語られていましたが、『今後の野外石彫は作家が図面をひいて工場に依頼して制作する方向に向かうであろう』との本間正義氏の意見は、現在の流れを言い得ているも、納得いく方向ではありません。確かに大モニュメント等の特殊なケースではそうした制作形態を取らざるを得ませんが、石の目もわからぬ人が石彫家を名乗ることは許されないと思うし、石を叩くことなく、カッターとグラインダーだけで形を造ってしまう風潮は、日本古来からの石彫の歴史を途絶えさせてしまう恐れがあります。また、本間氏は野外彫刻のモニュメントに言及していますが、生活空間の中の石彫、室内石彫の味わいについて述べていません。野仏、つくばい、灯籠など日本の風趣をどのように現代に調和させ残していくか、これも重要であります。抽象的フォルム、モニュメンタルな石彫を日本の風趣にいかに取り込んでいくか、石に対する各作家の哲学が根本にあってこその石彫作品であって欲しいと思うのです。」

 


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今月の課題