ななこのArt interview  〜作家の小宇宙を訪ねる〜 (5)

高 木 聖 鶴

『生涯の学習にしようと思って書を選んだ。
だからここまで勉強したから終わりということではない。』

 岡山県には7つの伝説が今も残り、その中でも総社市は吉備路の中心として古代ロマンの宝庫とされている。今回はその総社市に生まれ育った高木聖鶴先生を訪ねた。  
  高木先生は現在82歳。昭和22年に内田鶴雲氏に師事し、25年日展初入選、48年に日展特選、そして平成7年には日本芸術院賞を受賞されている。現在は日展参事、朝陽書道会会長等を務め、現代かな書を代表する一人としてご活躍中である。  
  JR総社駅に降り立つと高木先生が揮毫された歌碑が建立されていた。書かれていたのは仁徳天皇との悲恋で知られる伝説の女性黒姫、その黒姫が仁徳天皇と別 れるときに詠んだと伝えられる歌だ。総社市名誉市民としてこのような活動もされている高木先生だが、書道の世界に入られた動機を尋ねた。「一生続けられる趣味を持とうと考えました。それも将来自分が一人立ちを出来る趣味を持たないといけないな、と感じていました。そこで好きとか嫌いとかいうのでなく書だったら誰にも干渉されずに自分だけで思うようにがんばれるのではないかと思い講義録(通 信講座)をとって勉強し始めました。14才くらいの時ですね。」   
  その後は父親が経営していた証券会社で働きながら書の勉強をしていたというから、書に対する情熱は生易しいものではなかったはずである。当時を「夜まで働いた後、いろんな本を読み、精神を落ち着かせ、集中力を高めました。その後勉強を始めるという毎日でしたね。」と振り返った。




いはばしる(万葉集)
醍醐天皇の宸筆(白氏文集)に影響を受け、
1972年それを基にして書かれたという作品の一つ

 また、高木先生は先ず誰かに聞くよりも自分自身で行動してみるという。このことから、たくさんの書物を読んで勉強してきたことがうかがえる。「戦後書道全集を読み、概念が出来ました。わからないことも山程あったけど、いろんなものを見たり、聞いたりして自分で理解していきました。また、昭和35年くらいの時に小松茂美先生の本に載っていた醍醐天皇宸筆とされている写 真版(白氏文集と三蹟の研究)を見て衝撃を受けた。がばがばっとした音がするような文字が2文字ほどあったんです。このがばがばっという音は幼い頃なまずをとろうと石垣の穴に手を突っ込んだ時、逃げようと必死になったなまずが出した音です。「生」を感じる音なんですよね。この音と共通 する音が醍醐天皇の筆跡からも聞こえたのです。天皇でなければ書けない、コセコセしていない字なんです。以来大字はこれを軸にしていこうと心に決めた。」という。今の時代は知りたいもの、見たいものは自ら探さなくとも情報側から発信されるが、高木先生のように情熱をもって自ら何かを掴んでいくこの開拓精神こそが、誰にも真似できない自分自身の財産になるのだと、この言葉から感じることができた。  
  最後に高木先生の信念ともいえる言葉を頂いた。「生涯の学習にしようと思って書を選んだ。だからここまで勉強したから終わりということではない。それが始めたときの主義ですから。自分でできる範囲のことは全力投球して書の勉強をする。それをずっと生涯続けています。これからもずっと。」

 


JR総社駅の駅前に建てられている
高木聖鶴先生が揮毫された歌碑
「やまとへに 西風ふきあけて雲離れ 退きおりとも 我忘れめや」