ななこのArt interview  〜作家の小宇宙を訪ねる〜 (6)

中 路 融 人

『昨日より今日、今日より明日と、私はそう思って生きている。』

 紅葉が彩り始めた京都に日本画家、中路融人先生を訪ねた。中路先生は1933年の生まれ、21歳の時に晨鳥社に入塾、山口華楊先生に師事し、1956年日展初入選、62年に日展特選、97年には日本芸術院賞を受賞された。現在72歳。日本芸術院会員、晨鳥社の会長として後進の指導に積極的に取り組んでいる。  
  氏は幼いころから絵を描くことが好きであったと聞くが、晨鳥社塾に入るまでの経緯をお聞きすると「父親が酒屋を経営していて、私自身いずれはその後を継がなければいけないと悩んでいたが、そうした私の気持ちを察してくれたのでしょう、父が友禅の知り合いの人に掛け合って、友禅の絵師へのアプローチをしてくれたのです。そしてこの仕事には日本画の基礎が必要だということがきっかけで絵の勉強を始めました。」と教えて頂いた。山口華楊先生に師事することになったのも、美術学校の時の恩師に晨鳥社の方がいたことがきっかけになったのだという。京都市立美術工芸学校卒業後はデザイン(テキスタイル)の仕事をされており「夜の2、3時間を圧縮された時間だと思って有意義に絵の勉強に使った。初めから絵だけでの生活は当然無理であるので就職しました。いろんな経験をして自分を磨いていく。自分の人生、絵のために努力することは苦しいと思ったことはなかった。」と振り返った。人との出会いと自身のしっかりとした前向きな志しが現在の中路先生に繋がっているのだろう。





特選・白寿賞の作品『郷』

  また、中路先生は琵琶湖の自然、それも湖北を中心に描くことをライフワークとして続けられているが、その琵琶湖にこだわる理由を次のように語った。「母親の里が滋賀県の五個荘町で、小さいころからよく行き小川で魚釣りをしたり、カニを捕ったりしていた。幼児体験としてそんな原風景がずっと残っているんです。湖北特有の自然の息吹を描いていきたいと思って。風景って何時見ても同じじゃない。一瞬たりとも同じのはない。だからおもしろいんです。」師の山口先生が毎年牡丹を描きに行きその都度いろんな発見があるという先生の生き様をみていたことが自然をいつも新鮮な目でみる力を養うに至ったと思われる。生涯かかっても描ききれないかもしれないけど、滋賀の風景はこの先もライフワークとして描き続けるという中路先生だが「また違う風景、例えば富士でも現在の富士をみて、過去の名作を自分なりの目で捉える研究をするのもおもしろいかと思う。年とともに感じ方は変わっていくが、素直にやっていこうと思っている。」見た目のおだやかな風姿から感じられないような情熱で語る中路先生、「どんな世界でもいえることですが、絵描きにも度胸がいる。やると決めたら実行に移す。後のことを先に考えてしまうと弱気になるでしょ。仮にそれが悪い結果 になろうとも、あれはいけなかったんだなと分かれば中途半端よりいい。人生というものは探り当てていくようなもの。落胆ばかりせず前向きに貪欲にいく。これでいいかでやめてしまうのはもったいない。人生って次々と希望をもって何かプラスに変えていく動きが大切。昨日より今日、今日より明日と、私はそう思って生きている。」

 




応接間に飾られていた古谷蒼韻氏の作品     
「騰騰任天真」