ななこのArt interview  〜作家の小宇宙を訪ねる〜 (7)

桑 田 三 舟

『出会いって本当におもしろい。出会いは人生を変える。』

 親子二代芸術院賞受賞の桑田三舟先生を訪ねた。昨年秋に大々的な三舟先生の喜寿展が開催され、父・笹舟氏の喜寿展の作品と同じ主題に取り組み、その作品を父・子コーナーとして並べられた事が記憶に新しい。  
  さて、その三舟先生の若き頃のエピソードをお聞きした。「私は三男に生まれたのですが、それが教育勅語が出た日だったので父親が学校の先生にして書道をやらそうと決めちゃったんです。だから日曜なんかは兄や妹は母と遊びにいってる中で、私は墨を磨ってました。でも時々父がいろんな所に連れて行ってくれたのはうれしかった。そういう意味では私はおやじっこだったね。」父の思惑通 り師範学校へ入学し寮に入るが、空を飛ぶ夢を実現すべく内緒で予科練に入隊。しかし現実は特攻の為の訓練であったという。終戦になり帰郷した時、一番喜んだのはやはり父だった。その後頼まれて増川高等女学校の教員になったが「一年目は生徒の為に、二年目は学校の為に、三年目は自分の為にがんばった。しかし四年目には目標がなくなった。」と退職、書に本格的に向う決心をする。何もない昭和27年に広島で第1回の手作りの個展を開催した時には料紙は自分で漉き、表具も自分でしてリヤカーで作品を会場まで運んだというから凄い話である。  




第31回日展 内閣総理大臣賞、 第58回日本芸術院賞受賞作品『春秋』

 また、当時一家は広島県の福山に疎開しており、その疎開先にいた人を若さと好奇心で訪ねたとお聞きした。これも将来に向けた父のアドバイスが大きく関与している。葛原しげるさんという童話作家の人に会いに行ったり、その関係で音楽家の宮城道雄さんの琴を目の前で聞く機会があったり、葛原さんが学校の校長だったことでもう二度としないと決めていた教師を一年だけの約束で務めたりもした。また料紙の関係でいろいろな人との出会いがあった。周知の通 り、父・笹舟氏は日本で屈指の平安料紙の研究家であり「父がやっていたのを見て自分なりのやり方を覚えた。」という。「比庵先生にベンガラ染めの紙を作って欲しいと頼まれたことがあった。何度やっても自分のやり方では思った色がでない。それで人を訪ねた。風土に合わせた気候条件が大切だと倉敷民芸館の染色の先生に教わったことは大変な収穫でした。他にも日比野五鳳先生に白い柔らかい紙を頼まれたが、その時なぜ五鳳先生は白が好きなのか考えると、京都に行った時雪をみて、これだったのだと。五鳳先生は雪の上に字を書こうとしたのではないかと思い、その感性はすごい、流石だと思った。」良い出会いが又素晴らしい出会いに繋がっていく。「出会いって本当におもしろい。出会いは人生を変える。」そうした中で築き上げられた感性が今の三舟先生を創りあげているのだという思いを持った。  
  最後に今の書道界についての考えを尋ねた。「日本本来のかな文字というのは世界に誇るべき文化だ。なのに今、展覧会目的の為の部内の技術を争うような書道になってる気がする。そうではなく、部外にもっと普及すべきで競うだけの書道でなく、楽しむ書道を作っていくことが大切だろう。」三舟先生の社中、三余会ではそうした目的での書展を開催していることを付記しておきたい。

 







応接間に飾られていた 比庵氏の作品