ななこのArt interview  〜作家の小宇宙を訪ねる〜 (9)

津 金 孝 邦

『人の書物や伝聞だけでなく  自分の心の内側を探し求めて字を書くこと。』

 日展常務理事、凌雲会会長、読売書法会常任総務の書家、津金孝邦先生を訪ねた。津金先生は昭和4年生まれ。父は凌雲書院を開き天才的な創作活動で日本書壇を魅了し、数多くの書人を輩出した津金寉仙である。その父・寉仙と西川寧に私淑し平成12年には日本芸術院賞、恩賜賞を受賞された。現在は日本人の詩文を書とする運動を展開し、日本文学と書の精神の統合を目指しておられる。   
  まず書を始めた動機からお聞きした。「ジャーナリストや小説家になりたい夢もあったのですが、実は20歳頃胸に水が溜まり、膿胸になったんです。ほっておいたら死にますよと言われ、とにかく身体を動かす事を勧められまして。そんなことをしている内に気がつくと筆を揮っていました。するとどういうわけか元気になり今日にある、という次第です。」書家の家に生まれ、書によって救われたということに運命的なものを感じさせられたが、単に父の書業をそのまま継ぐというのではなく、新たな「書」運動を提唱し、自らは森躾外の研究家としてあることが強く印象に残った。



第32回日展
日本芸術院賞・恩賜賞受賞

 また先生は長年教育者として多くの子弟に書を教えてこられてきた経緯がある。「戦後混乱期に学生生活を終え、中学当時教えを受けた先生がアメリカ大使館で日本語を教えていたことからそこで日本語教師として10年間勤めました。それが教壇に立った始まりです。」当時は国際的な繋がりを持つ仕事柄、様々な方との出会いがあり、日本語を教えながら書を広める、という努力をしていたとお聞きした。その後は昭和女子大学と日本大学で各20年間教壇に立ち、教授・名誉教授を経て現在は退任されている。「大学で私は学生達に筆は楽器なんだよと言って授業を進めてきました。義務教育で字は習ったからこれから大学に入って何を勉強するか、それは楽器である筆の操作、演奏活動なのだと。漢詩などは音楽的な要素、リズムを持って書きますから。また漢字はカチッと鉄骨を組み重ねるような建築的な要素もあって、字そのものの空間を創る。書は建築であり音楽であるんです。」  
  そうした大学教育の中、日本人の「書」の本来の在り方を思い実践に移したのが「国書展」であったと思われる。「書は今まで何を書くかということは重要視されていなかった感じがありますが、でも書かれているものは確かに言葉なんですよね。だから自分の書は自分の国の文字で書こう、という思いがありまして。また戦争の時代を過ごした人間として日本の文化を絶やしてはいけない、日本を見直そうと思う機会があり、そこで森躾外に目をつけたんです。躾外は日本と欧米を繋げる努力、医学から理科系、法学に至るまでの英語を漢字に直したといわれていて、そんな深い知恵を持っていた人に学んでみようと思う気持ちで始めたのです。やっぱり精神が大切ですからね。」先生の趣味は読書だとお聞きし、この高い精神性はそこから築かれたのであろう。  
  最後に「人の書物や伝聞だけでなく自分の心の内側を探し求めて字を書くこと。そういうことをちゃんとしないと書はこの先発展していけないんじゃないかと私は思っています。」と語られた。文字は自分の感情や思いを人に伝えるという力を内包しており、それが書作品のあるべき姿なのだと改めて思った次第であった。





玄関に飾られていた刻字
書・津金寉仙  刻・新間静邨