ななこのArt interview  〜作家の小宇宙を訪ねる〜 (11)

中 井 貞 次

『井の中の蛙になってはいけない、広く全体を見て自分を築き上げることが大事』

 若葉萌える頃、染色家、中井貞次先生を訪ねた。中井先生は1932年、京都の生れ。「学校の勉強より幼い頃からいろんなものを見て歩いたり、絵や工作したりする事が好きな子供でした。」そんな感性豊かな先生をみていたお兄さんの薦めで京都市立美術大学工芸科に入学。蝋染めの小合友之助先生に魅せられ、染色の世界に足を踏み入れたのである。そして大学在学中に日展に初入選、卒業後、同大学図案専攻の助手となり、日展及び現代工芸展を発表の場として活躍、82年には日展会員に就任し、工芸家としての地位 を確立した。そして90年、日展文部大臣賞受賞、93年には日本芸術院賞を受賞、現在74歳。日展理事、現代工芸美術家協会常務理事で、現代を見据えた染色の制作を続けている。  





1991年日展、 1993年日本芸術院賞受賞作品  「原生雨林」

 「覚えればできる「技術」じゃなくて、人が真似できない自分の「表現」を私は大切にしているのです。」と語る中井先生の作品には蝋染めの浸染技法を用いながら、独自のイメージの創造を基に作風を展開されているが、それを築き上げた背景には2度の大旅行があると思われる。「日本工芸の源泉であるペルシアを研究することが工芸家にとって何よりも必要だという考えがあったので、富本憲吉先生の助手をしていた陶芸家の小山喜平さんと二人で計画を練り行くことになったのです。が、1961年当時、まだ学術調査などほとんどない時代で資金がなく、一年半かけていろんなところへ援助のお願いにまわりました。そして石油貿易会社のタンカーに無料で便乗し、連れて行ってもらうことになったのです。一年間車で4万キロ、イランを中心に中東諸国及び、ギリシア、インドを走りましたね。」当時の時代を考えるとまさに大冒険であり、この行動力には圧倒させられる。その13年後、文化庁の派遣在外研修員として一年間ヨーロッパへ。フィアットを調達し走行3万5千キロ、僻地にある織り場、工房を訪ねてまわったのだという。多くの人と出会い、多くの風物を見、体験したことで何ものにも代え難いものを先生は掴み取ってこられたに違いない。「風土と民族、工芸の関係に対していろいろ考えさせられました。井の中の蛙になってはいけない、広く全体を見て自分を築き上げることが大事だと思います。」 



車で4万キロを旅した時に撮った クルド族の カーペット織工房の写 真

 また、「現代の工芸はどのように我々の社会、生活空間の中に巧く機能していけばいいか、ということを考えなければいけないのではないかと思います。ヨーロッパやイスラム諸国で見た本来の工芸の世界、いわゆる社会、生活空間に適応しうる工芸の世界を作り上げていかなくてはいけないのでは。必然的なところからでてくる工芸のありようをもう一度しっかりと認識する必要があるのではないでしょうか。」と、自分が経験したことを何かに繋げていこう、形にしようという意欲で溢れているようだ。  近年は再三にわたり中国各地に赴き見聞を広めるなど、国際的な視野を持ち続ける中井先生。今後の制作について「大旅行などを通 じていろんな風物を見てきていることもあり、自然が生涯のテーマでしょうね。地球環境破壊も大変気になるところですが、自然の中にある生命の循環、自然のもつ生命力の強さなどを作品に込めていきたい。それと東西文化の交流。混ざり合って生まれる文化の凄さ、混ざれば混ざるほど面 白くなるし、そういうことをつぶさに見たり感じたりしてきているので、文化の交流についてもやっていきたいなと思ってます。」染料を何重にも重ねて創られる染織の世界と、先生が歩んでこられた経験や想いとが重なって、深い感動をおぼえた取材であった。