ななこのArt interview  〜作家の小宇宙を訪ねる〜 (16)

橋 本 堅 太 郎

『木には年輪がある、ぬ くもりがある、いのちがある、何か人間に近いものを持っている』

 橋本堅太郎先生は彫刻家橋本高昇の長男として1930年東京に生まれた。「戦後親父から男兄弟三人のうち誰か俺の後を継げと言われたんですが、親父やお袋の苦労を知っているし、全員が断りました。でもその時私は中学4年生でいろいろ考える時期だったのでしょう。ある時のみを叩く親父の背中を見て、いつも見ていた風景なのに何だかすごく気になって。親父の背中のささやきに負けたんです。やってみるよ、と言った時親父は本当に喜んでました。」 
  それから芸大受験の為に清水多嘉示氏にデッサンを習い、53年東京芸術大学に入学、平櫛田中氏に師事し、卒業の翌年には日展初出品初入選。しかし二度目は落選となった。「芸大も、日展も一回で通 っていたのでショックでした。しかも親も親戚も皆日展にいるのに何故落ちるのか、道楽息子扱いで東京にいられなかった。それで京都や奈良を歩きまわったんです。ある時、奈良の聖林寺で住職に声をかけられて『まだ若いんだからこれから失恋したり親が死んだり、心が動いた時に見るといいよ』と。その言葉が心にスムーズに入ってきて。大谷石職人のおじいさんに出会ったときも、一筋に大谷石を彫り続けてきた男の何気ない言葉っていうのは、えらい心に響いて。俺の生き方は甘っちょろかったな、いい加減だったなとか思って、そこで本腰が入ったというわけです。」いい物を見、多くの人と出会ったことで自身の歩む道をしっかりと捉え、深い精神性を築きあげた先生、また落選の時の寺巡りが縁となり仏像制作との関わりも多く、現代彫刻制作の礎になっているともいえる。落選翌年からは日展連続入選、66年特選、96年には日本芸術院賞受賞、同年日本芸術院会員に就任された。現在は日展理事長を務めるなど日本の芸術文化活動の先端で活躍されている。






第27回日展 日本芸術院賞受賞作
   「竹園生」

  また、橋本先生は独自の世界に伝統的な木彫を昇華させ、斬新なスタイルの作品も制作されている。「体をぎゅっとひねった作品を制作しても展覧会場では後はどうなっているのかわからない。だから観者が写 らない方法で彫刻の後も見えるようにしようと思ってステンレスを使ったんです。それとステンレスは磨けば冷たい感じを受ける。木彫というのは木のぬ くもりを伝えることができる。現代の非情さをステンレスで表現して、非情と有情なものを組合せることで、現代に対する作家の自己主張を込めてみたいなと。都会の中で生きる人間の孤独感とか、そんなものが表現できないかと。自分で新しい木彫の在り方をいろいろ模索しました。」この模索が単なる素材を芸術作品に変貌させ、観るものは心動かされるのだ。「芸術作品というものは自分の生活感情を造形的にいかに表すかがやっぱり大事で、そうすると必然的に今自分の思っている事を全部そのフォルムの中に入れようと思いますから。とってつけたように去年はあれをやったから今年はこれでいこうとか、自分の生活感情にないものをやったって人に訴えかけることなんて出来ない。実は去年家内が生死を彷徨ったことがあって、その時の気持ちを込めたのが去年の作品だった。木には年輪がある、ぬ くもりがある、いのちがある、何か人間に近いものを持っている。そのぬくもりをどうやって新しい感覚で表現していくかがこれからの木彫家の仕事だろうと思っています。」橋本先生の作品に込められているこの「ぬ くもり」こそが芸術作品の本質といえるのではないかと改めて考えさせられた。



「脱皮」樟 ステンレス・スティール