ななこのArt interview  〜作家の小宇宙を訪ねる〜 (18)

杉 岡 華 邨


『芸術作品とは心、人間です。人それぞれの美的感覚や
人間性によって生まれるものなのです。』


 「芸術作品とは心、人間です。人それぞれの美的感覚や人間性によって生まれるものなのです。だからそれらを向上させることが何より大切です。」書家、杉岡華邨先生は現在93歳。かな書の第一人者として多くの後進の育成や、書文化の発展に尽力しておられる。杉岡先生の故郷は奈良県吉野郡。書を始めたのは23歳頃。師範学校を出て学校へ勤めに出るようになり、ある時習字の研究授業を命ぜられたのがきっかけとなった。学校を替ったあと、土・日は往復八里の道を書の先生の家へ通 って本格的に勉強。文検に合格後は漢字を辻本史邑に学び、かなを尾上柴舟に奈良・東京間を夜行列車で通 いながら学ぶ。尾上師亡き後は線の美しさに魅かれ日比野五鳳に師事した。一方、教職生活は昭和23年に大阪第一師範学校に就任。当時のことを「女学校が借りている田んぼがあってそこに芋や野菜を作ったりして家族を援助していたから師範学校に呼ばれた時は躊躇した。大阪へ行ったらそういうことができなくなるからね。でも先輩の家政の先生から『芋や菜っ葉で人生あやまりなはんなや』と言われ行く決心をしたんです。」と振り返られた。しかしその翌年第一師範学校は大阪学芸大学と改称。もっと勉強しなければと思い、京都大学で特別 聴講生となり美学や王朝文学を学んだ。「当時聴講制は廃止されていたけど、図書閲覧願いを出してゼミナールに参加したという形で講義を受け、次の年は国内留学の形をとって結局2年通 いました。特に井島勉先生の美学は大変勉強になりましたね。」ここにも氏の一つのきっかけをプラスに変えるという徹底した姿勢が見て取れる。





第14回日展、日本芸術院賞受賞作品 「玉藻」

事実学んだことを自分の書世界に「立体性と統一性」として昇華させ、今の杉岡先生の書に生かされているのである。古筆の習熟にも精力的に取り組まれ、特に粘葉本和漢朗詠集は本がぼろぼろになるまで勉強されたという。それも「臨書は単なる真似ではなくて、しっかり見て美を再認識し、自分の文字を書けるようにする。感動を伴うことで美の創造を豊かにするものだと私は思っています。」との臨書の基本姿勢を貫いておられる。また、日展で特選をとり、書家としての地位 を確立されていく中で杉岡先生は自身の生き方に苦悩され、久松真一氏の門を叩いたとお聞きした。そこで10年間禅の思想を学ばれているが、今でも先生の仕事場には「これらは私の心の本」と久松氏の本が何冊も並んでおり、精神の基盤となっていることが窺われた。こうして高い人間性と美に対する修練を重ねられ、昭和58年日本芸術院賞受賞、60年勲三等瑞宝章受章、平成元年日本芸術院会員就任、7年の文化功労者顕彰に続き12年には文化勲章を受章されたのである。  
 ふと、机から来年の新春展の作品の草稿を取り出された。万年筆で構想を練ったエスキースである。いつも傍には奥様の支えがあり、これからも続けられるかぎり書をやっていきたいと語る杉岡先生。最後に書とはどうあるべきか、お言葉を頂いた。「日本のように芸術として発展するような文字は世界にはないでしょう。日本にしかないものだからこそ世界に貢献できるのです。それに民族がなくならない限り言語はなくなりませんから、書教育というものも永久的に必要なものであると思います。伝統的であり、将来もずっと続けていかないといけないものだと思っています。」自分と真正面 から向き合って真剣に歩んでこられた杉岡先生の人生に感動した取材であった。



第1回日展特選作品「香具山」