ななこのArt interview  〜作家の小宇宙を訪ねる〜 (22)

成 瀬 映 山


『一番大事なのは習いっぱなしにしないこと


 桜の蕾も膨らみ始めた頃、書家の成瀬映山先生を訪ねた。成瀬先生は平成4年日本芸術院賞・恩賜賞を受賞、13年には文化功労者として顕彰され、現在87歳。10数年前より細身の単字で響きある古代文を基調とした作品に取り組まれ、独自の書風を確立されているが、特筆すべきは青山杉雨師の逝去後、師の社中「槙社文会」の書展を立ちあげ、押しも押されぬ 日展漢字系の主要団体にまで発展させたことであろう。今では謙慎書道会の中核を占める若手の作家を多数輩出している。







   1993年  謙慎書道会展 「杜牧詩」

  大正9年、渋谷に生まれ育った成瀬先生は20代の青春真っ只中を軍隊で過ごした。幼い頃から絵や字を習ってはいたものの本格的に書の世界を意識し始めたのは戦後、後の師となる青山杉雨先生との出会いにあると思われる。「引き揚げ後、28歳くらいの時東横百貨店に入社して宣伝部に配属されたのですが、青山先生と出会ったのがその面 接の日。理髪店に行ったらそこにちょうど青山先生がいらっしゃり、同じ宣伝部へおいでになるということで紹介されたのです。その時はまだ先生が書道部の講師だということは知ならかった訳ですから、書を習おうと思って出会ったんじゃないんです。でもその出会いがあって今の自分に繋がっているんですよね。」こうして成瀬先生は書道部に入部し、鳴鶴・千字文等を習い、30歳の時青山先生に直接師事するようになったのである。「青山先生はこうやらなければいけないという強制的な指導は一切されなかった。先生が非常に尊敬されていた西川寧先生の行草を習ったこともありました。古典の勉強で最初に取り組んだのは呉昌碩。それから宋の時代のものに興味をもって黄庭堅とか蘇東坡の精神性に魅かれ習いました。でも何々流で固まってしまうのは好きではないし、古典にしがみつくのは違うと思っているから、いろんなものに目を向けて勉強しました。」こうして実力をつけながら35歳で日展初入選、44歳で特選。書家としての地位 を固め、22年間勤めた東横百貨店を退職して書の道で生きる決意をされるが、その時青山先生は成瀬先生に稽古先の講師を譲っている。弟子の生きる糧の確保をちゃんと考えておられた師の心遣い。そして「教える」ことがより自らの学習を深めることになるとの深慮が感じられる。




応接間に飾られていた   上・西川寧先生の作品   下・青山杉雨先生の作品

その後もカルチャーセンター等の講師を務めるなど多くの人に指導を続けており、そこに師から受け継がれてきた書の伝承に関する信念が窺える。「芸術は観る人と創る人の戦いです。観る人がいて芸術は成立する。観る人の程度が低かったら創る人の程度も下がってしまうという関係性がある。だから一番大事なのは習いっぱなしにしないこと。習ったら一人でも二人でも誰かに教える。習うことも教えることも一生懸命してもらうと書の灯は絶えないはずだと私は思います。」これは現代の教育の在り方を見直す上でも重要な考えであり、成瀬先生は学校に書教育の専門の先生がいない状態を憂いている。「国語科の中に書が押し込められて、国語科の先生が教えるしかない状態。これは問題です。だからある地方ではボランティアで書家の先生を派遣しているんです。でもボランティアでやらないといけない状況もおかしなものですね。書は総合芸術。空間構成は絵に繋がるし、制約のある点では書は文字、音楽は音程などの制約を踏まえている点で共通 性があります。日本の誇るべき文化なのだから、国全体がもう少し力を入れて守っていく必要があるのではないでしょうか。」伝統を守ることの大切さと難しさを改めて考えさせられた取材行であった。