歴史の中の「書」8
近衛家熈 『臨離洛帖』  田宮文平

 

 

           
 

臨離洛帖  近衛家 臨 陽明文庫 

  

 今回掲載の図版をいきなり見せられたら、ほとんどの人が、藤原佐理の『離洛帖』と答えるのではないだろうか。佐理の原書と比べて家  のは原寸で引き写したように書かれているのだから間違うのももっともなのである。  陽明文庫の名和修文庫長から「大陽明文庫展」の構想を伺ったのは、2年も前のことになるだろうか。近衛家の財宝を納めた陽明文庫が、文麿公によって昭和13年(1938)に設立されてから創立70周年になるというので、その記念特別 展として催されたのが、平成20年(2008)の新春に開かれた「宮廷のみやび/近衛家1000年の名宝」展(東京国立博物館)である。  

  まことに「大陽明文庫展」の構想にふさわしく、第一章「宮廷貴族の生活」、第二章「近世の近衛家」、第三章「家  の世界氈v、第四章「家  の世界」、第五章「伝世の品氈v、第六章「伝世の品」の六部門にわたって展示されたが、このうち家 公が二部門にわたっているのは、近衛家1000年のうちで美術的観点から、この人がいかに重要な位 置を占めているかを象徴的に示しているのではないかとおもう。  

  陽明文庫と言えば、藤原道長の『御堂関白記』(国宝)があまりにも有名であるが、同じく国宝の『大手鑑』は、近衛家  の編になるものである。このことからも家 が古今の書に、いかに通じていたかが証明されるであろう。  その書学の裏づけとなるのが空海筆『風信帖』、佐理筆『離洛帖』、『恩命帖』、『国申文帖』等、今回展示された一連の家 の臨書である。特に佐理のものは原書と臨書とが一緒に並べられたから、その精妙なることには改めて感嘆した。実は、これらの臨書については京都の陽明文庫でも、日本書芸院の特別 展でも拝見している。また、平成19年(2007)に燕京書道交流協会が滋賀で催した研修会では、なんと露出の状態で拝観できるという幸運に浴した。それにしても今回のように原書と直接比較しながら見ることの出来るのは、はじめてのことであった。  それらを原書と比べてみると、文字の大きさは寸分も違わず、用筆も墨色も原書とまったく同じと言ってよいほどである。そのように考えると、これは果 して臨書したものなのか、搨 したものなのかの問題が出てくる。  臨書というのは原本を側らに置いて書くことである。そっくりに書くことを形臨、書者の主観を入れながら書くのを意臨という。これに対し搨 は、原書に薄い紙を重ねて文字のフチどりをして墨を埋めていく方法である。原寸の臨本の代表的なものには、虞世南や 遂良の蘭亭叙があり、搨 本にはわが国に請来された喪乱帖や孔侍中帖の王羲之の書がある。  家 の写したものが、いずれの方法によるとしても、それら国宝級の原書が手元になければ不可能であるので、さすがは近衛家と言わざるを得ない。写 真技術の発達によって原寸の古典が簡単に手に入る現代では想像もできないことである。  ところで、臨 にしても、搨 にしても、その技術は中国唐代に高度に発達したものである。唐太宗が王羲之の書を好んで、 本をつくっては周辺に下賜したからである。それらは、いわば一点豪華主義ともいうべきもので、宋代以降の淳化閣帖などの大量 生産のものとは異なる。科挙の制度によって、多くの人びとに手本が必要となったからである。  
 
  わが国の書の歴史では、光明皇后『御書樂毅論』などを例外として、このような先駆的な例は、近衛家 が出現するまで、まったく存在しないと言ってよい。  江戸時代に貫名菘翁のような臨書の先駆的な仕事は存在するが、それは家 が考えたような原本の精妙な復元ではない。また、数多の古筆は、学書に欠かせない素晴らしいものであるが、それらは和歌や物語の写 本としてつくられたものである。文学上の必要から生まれたもので、書としての複製ではないのである。そのように考えると家  の出現は、わが国書道史上の奇跡とも言えるのである。  さて、佐理の『離洛帖』は、冒頭に「謹言離洛之後」とあるところからその名称があるが、佐理が太宰府に赴任するに際して摂政の藤原道隆に挨拶をしなかったのを参議の藤原誠信を通 じて侘びる消息である。その書は、古来、夙に有名であるが、また、藤原佐理の性格を計る貴重な資料とも言われている。家  公は、どのような気持でこれを写したのであろうか。

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