歴史の中の「書」28
松本芳翠 『 慰 情 』  田宮文平

 

 

慰 情 1959年 現代書道二十人展出品  

  

 松本芳翠が、書壇に劇的に登場してくるのは、大正一一年(一九二二)に開かれた平和記念東京大博覧会で、『紺紙金泥文天祥正氣歌』の小楷によって最高賞の金牌を受賞して以来である。このときは銀牌に大野百錬、銅牌に佐分移山、相澤春洋、Z田苞竹、高塚竹堂、辻本史邑がなって新世代の書人が一気に抬頭した感があった。

 中でも松本芳翠は、これを機に ″楷書の芳翠″として一世を風靡し、建碑の盛んだった戦前には、『河村瑞軒墓碑銘並序』や『北狭山茶場碑』等の、いまや古典と言ってもよい楷書の名碑を数々遺している。また、多くの人の目に触れたものには、『日本長期信用銀行』や『主婦の友』の題字もあった。

 その松本芳翠も、はじめは書人になるつもりはなかった。愛媛県伯方島の実家は薬局を営んでおり、上京したのも明治薬学校に入って薬剤師になるためであった。しかし、国家試験に合格しても未成年のゆえに免許状がお預けとなり、この間、もともと好きだった書に励むことにもなった。それが次第に認められて方針転換したのだから、人生とはまことに不思議なものである。

 書の道に入っても理科系の論理的な頭脳は生きて、持て持ての楷書に一層磨きをかけ、また、用筆法の理論化にも努めるのである。その象徴的なことは、毛筆の原形をヘラのような平筆として楷書の用筆の原理を確立したことである。

  平筆は恰度、平刷毛のやうなものであるから、これを横向きにして縦の線を引けば平筆 の幅だけの太い縦線が出来るし、またそのままの形で横に引けば細い横線が出来て、恰も 明朝活字のやうな文字が出来あがるわけである。また反対にこれを縦に向けてから縦の線 を引けば細い縦線が出来、そのままの形で横に引けば太い横線が出来て、恰も明朝活字を 逆にしたやうな文字が出来るわけである。(略)

 そこで一つの工夫がある。それはこの平筆の向きを、縦でも横でもなくその中間、即ち斜めに構へて書けばどうであらうか。それでは平筆の幅一ぱいの太い線は書けないが、その三分の二ほどの太さの線が縦に引いた場合も横に引いた場合も、同じやうに紙面にあらわれる。

 このようなあたかもコンピュータのような解析が、松本芳翠の楷書を一層、明快なものとしてゆく。下手をすれば版下になりがちなところを試行錯誤のプロセスが、紙一重のところで高い芸術性にとどまらせるのである。それがエピゴーネンと根本的に異なるところであろう。

 同様の思考は、のちに世紀の大発見といわれる書譜の節筆の研究へとつながるのである。この書道史上に名高い書譜の節筆は、古来、多くのナゾを秘めてきた。それを等間隔に折られた(あるいは筋をつけられた)個所への筆の当たりであることを実証する。これは、まさにコロンブスの卵で、これによって歴代の書譜法帖の系譜が明快に解きあかされる契機ともなったのである。

 松本芳翠の楷書の用筆といえば、筆を長刀のように研ぐことが有名である。これも用筆の合理性から導かれたものであるが、一方では「ここでくれぐれも断って置くのは、以上の筆鋒の整え方は何処までも観念的で、決して極端に筆鋒を刀の形に作り上げてしまうのではないかということである。」この点が一番注目されなければならないことであろう。

 ここに揚げた隷書の『慰情』は、昭和三四年(一九五九)の現代書道二十人展(朝日新聞社主催)に出品されたものであるが、そのアンバランスのバランスの点画の布置こそ、理知的かつ情趣的な美の典型であろう。たとえば、情の青の横線は決して均等に引かれてはいない。二本目と三本目を窮屈なほど狭めているが、だからこそ下部の白、ひいては扁との間の広大の余白が生きてくるのである。

 このアンバランスのバランスの美は、ちょっと意外におもうかもしれないが実は王羲之の書の核心でもあるのである。別の例で言えば、京都龍安寺の石庭の石組みもまさにその典型で、徹底した計算のうえであえてアンバランスのバランスに置かれているのである。

 松本芳翠の書を正当に評価するのには、そのような視点が必要ではないだろうか。


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