水墨画考1  畑佐 祝融(日本文人画府理事長・合同水墨議長)
水墨画と呼ぶ理由 

〈1〉文字の意味 

 現在の日本では、墨色で描かれた絵画を呼ぶのに統一した名称を作家側が使用しておらず、そのため社会的にも混乱が生じている。
 「墨画・水墨画・墨絵」という現在使われている代表的よび名は、いったい何を根拠に語られ、また使用しているのであろうか。
 ちなみに海外を見れば、墨で描かれた絵画が文化として定着している中国・朝鮮半島では水墨画という呼び名で通っており、華僑を中心とした世界各地で描かれる墨色の絵画も、本国と同じ水墨画という名称が使われている。
 しかし、東アジア各国では墨色で描かれる画を絵画の中のジャンルとして認定しておらず、そのためそれぞれの国の名を冠した名称、つまり「日本画・中国画・韓国画・朝鮮画」などという絵画名称の中に墨一色の画も含めて語ることが多い。
 アメリカでは、近年日本文化の一例として墨一色の画が紹介指導されたおり、墨絵と呼んだためこれが一般的になったとも聞く。
 説明の順序として、まず画と絵の文字の違いから語りたい。
 『新漢和辞典』(1964年版・大修館書店刊)では次のようにいう。
〈画〉1.《1》かぎる。くぎる。(イ)分ける。区分する。(ロ)しきる。さかいをする。(ハ)とどまる。(止)。《2》しきり。さかい。「区画」。《3》はかる。(計)。「画策」。《4》はかりごと。「計画」。《5》そろえる。ととのえる。「画一」。《6》漢字を構成する点や線を数える語。《7》横、縦の線を引く。2.《1》えがく(ゑがく)。絵をかく。《2》いろどる。また、いろどり。《3》かざり。《4》エ(ヱ)。絵画。
〈絵〉《1》刺繍して模様を作る。また、その模様。《2》えがく。いろどる。色彩を施した絵を書く。《3》エ(ヱ)。絵画。《4》もよう。色彩を施した模様。《5》色模様を施した絹。
 『全訳・漢辞海』(2003年版・三省堂刊)では次のようにいう。
〈画〉A、(動)(1)えがく。(名)(1)絵画。え・ヱ。(2)姓。B、(動)(1)かぎる。(ア)区分する。(イ)限界とする。(2)計画する。はかる。(3)横に真っすぐに引く。(4)署名する。(名)(1)計略。策略。はかりごと。(2)漢字を構成する一筆で書く点や線。(3)しわ。
〈絵〉(名)(1)彩りの美しい刺繍。( 2) 絵画。「墨絵」「図絵」(動)(1)えを描く。顔料を用いて絵画を描く。(2)声や姿などを模写する。なぞらえる。
となっている。これでは、あいまいすぎて「画」と「絵」の意味の違いが区別できない。はたしてそうなのであろうか。漢族はあいまいさを嫌う一面を持つ民族だと聞いている。それなら文字の意味もはっきりしているのではないだろうか?
 中国で漢字が統一され、文字としての形と個々の文字がもつ意味が確定し、現在使用している形になるのは漢代に入ってからであり、それゆえ文字の呼び名を漢字といった。今からおよそ2000年前のことである。同一の意味を持つ漢字は一つだけとし、他の意味は古字の時代の物として切り捨てた。由来、一つの漢字が持つ意味は2000年に渡って変更せず今日まで続いている。しかし、なんにでも例外は存在している。
 現代日本の辞書が、一つの漢字に多くの意味を解説するのは、漢字の意味が各地域で異なったまま使われてきた古文の時代の意味まで含めている事にほかならない。後世の識者が文章構成の嗜好に基づき著名な古文を引用する例が多くあり、また、文化の上で重要な古文が多かったことも事実である。これらの引用によって用例として定着した意味も多い。
 また、1000年前から現在までに漢字の意味が変更してしまったものが少数ではあるが存在しているし、熟語の意味まで変更したものが存在している。これらの内容を整理せず、ごちゃまぜの状態で解説しているのが日本の漢和辞典の実状といえよう。
 過去2000年に渡って漢字文化圏では共通して、「画」と「絵」の文字は使い分けられてきた……と、私は思っている。
 こころみに、次のように画と絵の違いを考えてみた。「画とは、墨線もしくは墨色で構成されたものを示す」「絵とは、色彩で構成されたものを示す」
 前述が私の認識であるが、残念ながら市販の漢和辞典では、おしなべて明確な説明がなくあいまいになっている。よって実例を上げて以下に説明したい。
 壁画は発掘によって漢代の墓から数多く発見されているが、大部分は墨線で表現されている。ゆえに当初から壁(画)と呼ばれた。はなやかな彩色が壁画にほどこされるのは後の時代(唐に近づいてから)になってからである。
 『中華文明史話叢書』(台湾国家出版社・2003年刊)では、漢墓の壁画について彩色されているものを、「壁画絵」と表現している。また、色の付いた画を「彩絵」と呼び、「彩画」とは呼んでいない。この『中華文明史話叢書』は、多くの台湾学者が文章の校訂に加わった、学会公認の学術定説本となっている。
 また、『中華文明史話叢書』の中でも、第15巻の『絵画史話』(李福順著、2003年、台湾国家出版社刊)では次のようにいう。
《(夏王朝から東周の末年まで)この間の絵画はいまだ工芸の母体中に従っていて独立しておらず、絵と画は二つの独立した工芸技術であった。「絵」は顔色(表面)に線描の図案あるいは形象を作り、「画」は顔色(表面)に形象を描き出していた。後世になって合して「絵画」といった。『周礼・考工記』では次のようにいう。「百工の中に設色の工あり、そして設色の工はまた『画・絵・鍾・筐・*(音は厂メ尢)という5個の工種に分かれている。」』》この『絵画史話』では次のような意味で言葉を使っている。
絵製壁画=絵で壁画をつくり。絵制壁画=絵で壁画を制作し。彩画=彩色された画。以上の用例は共に極彩色の作品だけを対象とした言葉使いとなっている。
 では、日本ではどのように使い分けされてきたのだろうか? 以下に用例を示す。
 鳥羽僧正の鳥獣戯画は墨で描かれたものであるため戯(画)という。源氏物語絵巻は色彩で表現されたものであるため(絵)巻という。
 雪舟の作品は墨一色で山水を描いたものであるため山水(画)という。神社に奉納される絵馬は色彩が中心であるため(絵)馬という。
 初期狩野派は墨線を構成の主な要素とした中国の北宋(画)を学んだ。また中国画を称して漢(画)と呼んだ。
 絵巻物・絵物語・大和絵などと呼ばれたものは、すべて色彩中心の作品である。
 版画は当初墨一色ですられたため版(画)であったが、江戸時代に色彩中心の版画ができるにおよび、新たに浮世(絵)という呼び名が生まれる。
 大津絵とは色彩中心の作品をいう。ふすま絵に対し、水墨調を障屏画という。南画・文人画とは墨を主体としたために付けられた名称である。
 絵師とは色彩画を得意とする作家のことであり、画師とは墨を得意とする作家のことである。
 明治時代、西洋から入ってきた作品は多くが版画であった。ゆえに西洋画なる名称が生まれ、対比として東洋画という言葉(東アジアの絵画は墨中心であったため)が生まれたと思われる。
 絵具とは色彩の具という言葉であり、絵筆も色彩をつける筆の意味である。狩野派や漢画系では画材と呼び画筆と呼んだ。
 水彩画という呼び名は、前述の西洋画という呼び名が存在していた時に生まれたと思うが、漢字のもつ意味からいえばおかしな事になろう。
 現在の日本画は明治期、漢画系の狩野派を勢力の中心としたため、日本画という名称が生まれた。

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