水墨画考12〈最終回〉  畑佐 祝融(日本文人画府理事長・合同水墨議長)
筆法・墨法一覧 

 徐崇(生没年不詳)は、北宋時期の花鳥画で、直接色彩で作画する没骨法を創始した。この影響は深遠なものとなった。
 李成(919〜967年)は、「墨を惜しむこと金の如し」といわれた。巻雲皴を使った。
 郭熙(生没年不詳)は、積墨法を使った。山水画の筆法と墨法は、郭熙において完備したといわれる。豊富な筆墨の技巧を駆使した。いわゆる積墨法とは、形象を描くとき、淡墨を使って一層を増加する方法で、一気に描かない。このような画は形象が渾厚で層に階層がある感じがする。
 李公麟(生没年不詳)は、北宋のとき白描画法を使用した。
米市父子(生没年不詳)とは、北宋末に活躍した米.と米友仁の親子をいう。米点山水を創造し、水墨 染法を作った。
 趙佶(1081〜1135年)とは、北宋末の皇帝であった徽宗の名である。彼は双鈎填色法を使った工筆画を描いた。
 北宋末は、皇家の画院と民間の画工と文人画が三足鼎立の勢いとなり、新たな絵画理論が生まれ、南宋の画壇で文人画が主流となった。山水画は一変し、伝統の法は、辺角式(一辺の景)から全景式(広大な山水)に変化し、局部を写した形態から全体に意を配る形態になった。


  南 宋
 宋代では、蘭葉描、鉄線描、釘頭鼠尾描、折蘆描、枯柴描、溌墨写意があらわれた。また、水墨画と重彩画(極彩色画)が共に盛行した。
 南宋では、「南宋四家」の李唐、劉松年、馬遠、夏圭は、それまでの辺角式から全景式の山水を描き、山水画は壮美から秀美に変わった。また、南宋画院の花鳥画は「双鈎勒法」を使って彩色した。
 馬遠(生没年不詳)には、辺角の景を構図に使った作品がある。そこでは、光を描こうとしている。また長斧劈皴と釘頭鼠尾皴を使用した。
 梁楷(生没年不詳)は、簡筆溌墨画法を使って、減筆花鳥を描き、黒白を大きく対比させる手法をとった。簡筆溌墨人物を描いた。
〈紙〉
 宋代の絵画は、常に紙と絹を併用した。南北朝から明代に至る書画用紙は、おおむね加工紙であった。宋・元以後は、書画用紙は、ほとんど皮紙になった。
〈墨〉
 張遇(宋代の熙寧年間、1068〜1077年)。墨師の張遇が造った御墨には、油煙墨がある。油煙墨は宋代に出現したが、極めて少なく、松煙墨が大部分であった。
 潘谷(生没年不詳)は、北宋の元祐年間の製墨の名工である。北宋の蘇軾は、潘谷を賞賛して「墨仙」と呼んだ。
 〔筆者注〕―潘谷は、絹で墨ダンゴ(一工程分)を包み、常に湯煎した。これによって膠と混和する墨ねりと、五材の練り込み、型入れ、などの時に墨ダンゴの温度を一定に保つことが可能となり、細密で均一な品質の墨錠を始めて作ることが可能になった。
 現在の製墨界(中国・日本・韓国)では、湯煎によって得られる墨ダンゴの温度は、型入れの時は人間の赤ちゃんの体温、つまり37度Cが適温とされている。それ以上でもそれ以下でも、固型墨の品質は下がってしまう。
 潘谷は、湯煎という方法によって、墨の品質を一気に引き上げた。


  元 代
 元代は、水墨山水と「四君子」画は空前に繁栄した。元代の絵画は巻軸を中心とし、多く紙を使い、宋画のように主要な画を絹本に描くことはしなかった。
 絵画用紙は、それまでの加工紙=熟紙から、生紙(生の皮紙)使用に変わった。
 元代では絵画に書法が入り、書画同源が主流となった。飛白、渇筆、中鋒、側鋒、運筆の遅速、順筆逆筆、転折頓挫、などの筆法が使われた。特に渇筆は盛んであった。
 画面の上に詩の題記を書くことは、おおむね唐末か五代に生まれたが、元代に至ると、文人画家は、大々的に詩文や跋語を題することを開始し、これを画に配したのである。この種の作法は、明・清の文人が欣賞するところとなり、発展していった。
 元代に、董源、巨然を宗とする南派(南画派)と、李成、郭熙を宗とする北派(北画派)が出現したのである。
 黄公望(1269〜1354年)は、渇筆を兼ねた披麻皴を使った。
 倪.(1301〜1374年)は、描くとき始めに折帯皴を作って、 染を作らずに淡墨で枯筆を使って表現した。いわゆる疏体の作品である。
〈筆〉
 元代は、軟毫筆が最盛となった時代である。


 明 代
 明代の中期以後は、城市と城市経済の発展によって、江南の諸地域では、多くの文人画家や民間の画家は画を売って生計を立てた。
 唐寅(1470〜1523年)は、大斧劈皴を変化させた長披麻皴を創出した。
徐渭(1521〜1593年)は、水墨大写意花卉を創造した。
〈筆〉
 明代では、すでに羊毫筆が衰退していた。明代の筆は、軟毫筆が硬毫筆にとって変わり主流となった。そして毛筆は、筆頭が丸く豊満になった。
〈紙〉
 明代初期に、青檀樹披を使った宣紙が改良されて良質のものが作られ、明・清の時代を通じて朝廷の主要文書類の料紙に使われた。また、主要な絵画は、生の宣紙を使って製作されるようになった。
 〔筆者注〕…墨では、製墨法として伝統的に生漆を煤と膠に混入して、墨錠(固型墨)を作ることが漢代から続いてきた。記録では、明代中期の墨師だった方於魯が、漆を混入しない固型墨を製造したとある。
 近代の製墨法では、漆の混入は、いっさい存在していないと記憶している。


  清 代
〈筆〉
 清代では、羊毫筆が盛んとなり、軟毫筆が中心となった。
 〔筆者注〕…軟質長鋒羊毫筆と呼ばれる。
〈紙〉
 紙では、清初に宣紙の原料に稲草を入れることが始まり、主要絵画にはすべて、青檀樹皮と稲草が入った生の宣紙が使われるようになった。この紙は、純白で軟質で潤墨性に富んでいることから、綿料、もしくは綿紙とも表記された。稲草の漂白には、2年間の天日漂白が必要であった。
 この宣紙は、虫害を受けず、搓折に耐え、ほとんど劣化しないという、大きな特徴をもっている。墨色の発色も優れていることから、「紙中の王」と呼ばれ、水墨画の世界では特別に扱われ、賞賛されてきた。
〔筆者注〕… 〈日本筆法〉
 この一文で記述した技法は61種に達している。しかし多くは、筆法・墨法の名称を紹介するのみで、具体的な内容説明はない。
 日本では、上述した筆法・墨法以外に、側筆法、点苔法(2点式、3点式、遊点式)、打込法、叩込法、転がし法、突っかけ法、多頭筆法、指頭法、などが伝世している。また日本独自の画法としては、「たらし込み画法」が存在する。
 〈現代水墨の中心的筆法〉
 われわれは自らが使用する筆法・墨法・画法の正式名称を、知っているであろうか?自らが描く水墨画の思想理論を、知っているであろうか?
 水墨の表現理論と画材の特性から生まれた現代水墨画の中心的な技法は、歴史にあらわれた多くの筆法・墨法に照らし合わせれば、北宋の郭熙が創始した「積墨法」を大部分の作家が使用しているといえよう。さらにこれを発展させた、「超積墨法」と呼べる画法を使用している作家も多い。この傾向は、台湾・韓国・中国本土でも同じである。個人的なことであるが、わたしが使用している技法は、「懸腕直筆短促均.全方位筆法による超積墨画法」と呼ぶことが妥当と思っている。
 因みに、現在の日本画は何と呼べばよいのか?「岩絵具厚塗り膠画法」、「填色膠画法」、「膠画法」など、いろいろあるように思う。
(了)

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