〜深い淡墨に骨格ある漢字の線が響く〜
 〈新たなる展開の予兆〉
第55回水穂書展より

理事長
土橋靖子

 

 第55回水穂書展より、土橋靖子理事長の六曲屏風作品を紹介させて頂く。
 撰文は大伴家持が28歳で越中守に任ぜられ、そこで知己となった大伴池主に翌年贈った二首。池主に春の歌詠みに誘われたものの、北国の厳しさに風邪を拗らせ長患いとなり、ひとり帳の中に臥して、気まぐれに拙い歌を作り贈ったという背景がある。その一首目「春の花が今や盛りと咲いていることでしょう。私に手折って挿頭にできる手力があったらよいのに」と、鬱々とした気持ちを詠んでいる。で、土橋靖子は何故この歌を書いたのだろうか。
 土橋靖子の外祖父は周知のとおり、昭和一代の名筆家と讃えられる日比野五鳳であり、五鳳の長男光鳳(文化功労者/水穂会最高顧問・代表)の姉が靖子の母。母は吉沢義則博士門下の歌人であった。父の土橋氏は九州出身で慶応大学医学部に学び、土橋氏の兄が同志社大学教授で万葉学者であったご縁で母と知り合った。父は千葉県市川市で開業、靖子は昭和31年、一男二女の末っ子として生まれた。音楽少女として幼少期を過ごしたが、桜陰中学に入って書道部に所属。それが書を始める契機となった。書の先生が楢崎華祥だったことも。東京学芸大学書道科へ進み、靖子が本格的に書を志すようになると、日比野五鳳は習ってよいかなの古筆(高野切、松籟切、寸松庵色紙など)を選んでくれたという。
 彗星の如く書道界に現れ、日展会員就任前に現代書道二十人展書家に抜擢、平成18年に芸術選奨新人賞、同21年日展会員賞、そして昨年日展内閣総理大臣賞を受賞し、書壇の極みへと一歩足をかけた。今、土橋靖子は何を思う?今迄の心身になじんだ書からの脱皮ではなかろうか。その鬱々とした気持ちがシンクロして一歩抜けた作品に仕上がった。裏打ちの紙の心配りも粋だ。(松)

 

 

春のはないまはさかりににほふらむ をりてかざさむ
たぢからもがも(万葉集 大伴宿祢家持)