追悼生誕100年

杉岡 華邨 展

 

●2月28日(木)〜3月11日(月)
●松屋銀座8階イベントスクエア

●3月20日(水)〜3月26日(火)
●大阪高島屋7階グランドホール

 昨年、3月3日白寿を目前に逝去された文化勲章・日本芸術院会員の杉岡華邨氏の生誕100年展が東京(松屋銀座)と大阪(大阪高島屋)の2会場で開催される。当初は華邨氏の百寿に合わせて計画されていたとお聞きしたが、追悼展となってしまったことは残念でならない。
 華邨氏は大正2年奈良県吉野郡に生まれた。昭和9年奈良師範学校本科及び専攻科を卒業。書を始めたのは23歳頃、師範学校を出て学校へ勤めに出るようになり、ある時習字の研究授業を命ぜられたのがきっかけとなったと聞く。それで資格を取ろうと決心、同15年辻本史邑に師事するなか文検に合格した。その後、かなに興味をもち昭和21年に尾上柴舟に師事することとなり、奈良・東京間を夜行列車で通いながら学んだという。
 大阪第一師範学校文部教官となったのは同23年。昭和25年に京都大学で特別聴講、翌年に文部省内地研究員として同大学で美学、王朝文学、中国文学史を学んでいる。その経験が今の自分の書に繋がっていると言われるとおり、王朝かなの研究から氏自身のかな構成美論「連綿であれ、散らしであれ、各行は1点の扇の要に収斂される」が確立されるのである。また、散らし書きを構成骨格の基盤として、墨の潤渇や文字の複雑簡素の対比により立体感をだすということも華邨流散らしの理論として、後々の書作に生かされている。
 尾上師亡き後、昭和32年に線の美しさに魅かれ日比野五鳳に師事したことは、京都留学がもたらした大きな瑞兆となった。同33年第1回新日展「香具山」にて特選・苞竹賞を受賞、その後の活躍は周知のとおり。同58年日本芸術院賞、平成元年日本芸術院会員就任、同7年文化功労者、同12年文化勲章受章に併せて奈良市杉岡華邨書道美術館が開館した。最晩年に至っても書の研究者としての立場を堅持し、亡くなる直前まで現役書家を貫いた。側にはいつも和子夫人が付き添う中、情感こもるご自身の世界を探求されていた。
 華邨氏の足跡を振り返る大回顧展。院賞受賞作「玉藻」、中路融人との合作「最上川」ほか絶筆となった「近江京感傷」などの額、屏風、帖、巻子、手紙、折帖に至る100余点の展観となる。
 尚、同展に併催して華邨氏の社中臨池会の代表作家が集う「第2回寧楽書展」が開催される。 (松原)

 

月読ののぼるひかりのきはまりておほきくもあるかふゆもがみ川
(斎藤茂吉)画:中路融人


【最上川】 平成10年 奈良市杉岡華邨書道美術館蔵