石川芳雲 遺墨展
―詩書同魂の作家精神を追悼―


● 2月24日〜28日
● 池袋/東京芸術劇場 5Fギャラリー2

 

 昨年8月、90歳で逝去された石川芳雲氏の遺墨展が、「第13回日本書道學院代表作家展」に併催された。また3月25日には東京神田の学士会館において「お別れの会」が営まれ、大勢の参列者が故人を偲ぶとともに、遺墨名品を静かに鑑賞した。
 芳雲石川省吾は昭和5年、山梨県甲府市の生まれ。その後、茨城県日立市に転居。県立日立中学一年次に「英習字」に出会う。「英語をペンでサーと書く」ことだったらしい。これが面白かった。やがて陸軍学校入校、敗戦、そしてもとの中学に戻ったときに、ある広告を見つける。これが「日本ペン習字研究会」だった。先の英習字と思い込んで入会したら、「なんと日本語のペン習字の会だった」というから人生とはわからない。そしてそれにのめり込むことに。時は受験、旧制水戸高校(現茨城大学)入学。ここから毛筆への取り組みが始まる。しかし日立市という企業城下町の環境から、大学は東北大学工学部へ進学。在学中は競書で学び、(株)キトー入社後は書海社の松本芳翠の益を受けるも、エンジニアとしての生産技術研究の仕事は多忙を極め、転勤も重なって、書海社への足も遠のくことに。ただ、ひたすら独学で東方展や書海社展に出品し受賞も重ねた。そして将来の師となる中平南谿に師事。以後は日展や各展で活躍旺盛。昭和61年には日本書道學院長に就任。終生、後進の指導にも尽力した。個展では平成29年の米寿大個展が記憶に新しい。全作、自詠漢詩が素材であった。ここに掲載した9点もその際に披露された作品だ。芳雲の作詩は平成7年から始まる。進藤虚籟、後に鷲野正明に師事。「日中友好自詠詩書交流展」出品を機に訪中も回を重ねた。そうして平成24年の「全日本漢詩大会」では遂に文部科学大臣賞を受ける。その作品が「黄山初陽」の七言絶句である。詩書同魂の鮮烈な墨痕であった。終生、詩を詠み、書を作った人格者石川芳雲。本物の作家がまた一人世を去った。合掌。(篠原)。

 

 

お別れの会 (3月25日・学士会館)

 

黄山初陽(七言絶句)〈1800×530〉

尋何子貞故居(七言律詩)〈1350×1400〉

秋月、スーパームーン(七言絶句二首・書き下し) 〈700×2700〉

詠中国書法史蹟(右から漢中石門頌・西安碑林・龍門石窟・鄭書三山・九成宮醴泉銘・雁塔聖教序)
〈全作七言律詩 2050×700×6〉