折々の眼(13) 水墨画から“SUMIアート”ヘ ワシオ・トシヒコ(美術評論家)
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もしかしたら洋の東西を問わず、黒と白こそ、最後に選ばれる究極の色のなかの色なのではなかろうか。黒が光を吸収する色相であるのに対し、白は光を反射するもっとも明るい無彩
色である。黒と白はまったく対極の性格でありながら、根源を一つとする。黒が闇とすれば、白は光そのものだ。光は闇から生まれ、また闇へと還る。闇は生きようとする死であり、死のうとする生でもある。黒と白は互いに、人間の生と死に微妙に、あるいは深く関わっている。どんな画家でも、必ずといってよいほど黒と白に魅かれるのは、そうした理由からなのだろう。
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定義すると水と墨と和紙の相互作用で創作する絵画ということになろうか。
ならばいっそ、水墨画に替えて総称を墨画、いやもっとダイレクトに“SUMIアート”とでもしたらどうだろう。“チャイナ・インク”や“インディア・インク”より、今や“SUMI”という表記の方が、国際的に一般
化している。現状の水墨画を、SUMIを使ったアート全般と規定すれば、洋の東西に関わりなく、世界の老若男女が気軽に取り組めるようになるのではないか。
そうすればやがて “SUMIアート”は、アートジャンルの一つとして世界的に認知されるだろう。世界各地にマーケットができ、有力なビジネスとして成り立つ可能性もある。中心が東京になれば、なお嬉しい。従来の水墨画は、墨彩 、墨象などと共に“SUMIアート”のなかの主要ジャンルとして位置づけられることになるわけである。夢だろうか。 |
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