今月の課題 「大志を抱け」 編集主幹 松原 清
早、12月号の発刊となった。残すところ1ヶ月半ばかりである。ふと、振返ると、必死に目の前の仕事をこなしていくだけの自分がいる。これでいいのか!本当にこれが俺の人生の全てなのか、等とささやく声が聞こえてくる。こんな想いにとらわれたことはないだろうか。
「Boys, be ambitious.—少年よ大志を抱け」とは、北海道大学(旧:札幌農学校)の初代教頭のウィリアム・スミス・クラークの有名な言葉であり、このフレイズは昭和生まれの日本人なら殆ど誰もが知っている。が、次に続く言葉「likea(this) oldman.̶(この)老人のように」があるというのだ。後年、その文章がクラーク博士の精神として紹介され、碑文に刻まれた。しかし、「老人のように」の言葉は刻まれていない。実は私自身も初めて知ったことで、聞いたこともなかった。碑文は(意訳)「お金のためではなく、私欲のためでもなく、名声という空虚な志のためでもなく、人はいかにあるべきか、その道を全うするために大志を抱け」と、どのように大志を抱くのかと続いている。
この言葉は、後世の創作によるものだと考えられた時代があったが、当時の札幌農学校創立15周年記念に1期生が講演して、ほぼ同様な別れの挨拶が語られたとの裏付けがとられ、今は定着しているのだという。
後のクラーク博士が、事業に失敗して没落したことは横に置いても、これまで、「大志」を抱くのは、青少年の専売特許のような常識として私の中にあったが、実は老人も「大志」を抱き続けねばならないということに、すこぶる共感した。現在の自分の身丈に合った「小志」ではダメなのだ。小さな志は妥協を生む。そのひとつの妥協が、次はあきらめへと結びつくからだ。偉人と称されている人は、少年の頃より「夢」を持ち、あるいは後に「これこそ自分の一生の仕事」と確信し、その夢に向かってあらゆる困難を克服した人である。そうした「夢」を持ち続けている人はカリスマ性があり、オーラを放っている。「老人」だからと「夢」を放棄してはオーラは消える。やはり、「大志」は抱き続けねばならないのである。それが、社会的地位を築いた人としての責任でもあるからだ。どの分野に於いても、もちろん芸術家も然りである。
現在、国家も企業も存在する責任がなおざりになりつつある。旭化成のビルの基礎工事にかかるデータ改竄、世界的企業のフォルクスワーゲンの排ガス規制逃れの違法ソフトの問題も卑近な例としてあるが、そうした社会的責任を担うという教育の荒廃が根底に横たわっているからだろう。教育とは、なにを措いても先ず人としての社会的責任を教えるものであるからだ。
世界からエコノミックアニマルと言われ続けてきた日本の経済優先主義、それが世界に広がりつつあることが、ある意味恐ろしい。経済とは経世済民(世を経め、民を済う)の省略形。この四字熟語から世と民が本当に無くなってしまった感がある。「大志」を持ちたいものである。
全日本美術『今月の課題』の
1996~2005年を単行本に
全日本美術編集主幹 松原清 著
A5版 272頁 定価2000円