今月の課題 「書の在り方 返信文書より(1)」 編集主幹 松原 清
今から20数年前になろうか、書道番付を出した後に印人のS先生より一冊の本「春秋雑記」と共に書評に対する意見、質問が書かれた手紙が送られてきて、それに筆者が返信した手紙のコピーが偶然見つかった。残念ながらS先生の手紙は紛れてしまっていたが、現在の筆者の思いと殆どブレがなく、抜粋して書き留めておきたい。
拝復 貴重なるご意見、ご質問をいただき早急にお返事をと思いながら諸事に手をとられ大変遅くなり申し訳ございません。春秋雑記を拝読させていただきましたが、現書壇の問題点のご指摘につきましては、概ね同じ考えでございます。書展が質から数を競うものになっており、書展での賞がすべての如くある在り方、高額のお手本をいただいて手本通りのものを作品として出品しているものが、まかり通って且つ受賞してしまう。ひどいのになるとご自分の作品を読めない人までいることは何をか言わんやであります。こうした書展に行くと感動はない。むしろ臨書展を見たほうが余程勉強になります。「臨書」は作品でない!とのことは私も同じ考えですが、古典を真面目に学ばない書家と称する人達が多い中にあっては、まだ救われた気持ちになることも事実で、そうした「温故」を大切にする人達がどのように自分の作品に辿り着くかということも、私達のような仕事をしている者にとっては非常に興味のあることです。
書の世界に観る側の立場からアプローチしていると書壇の悪癖の中で苦闘している先生方にもお話いただく機会がございます。一生懸命に古典を叩いても発表できない。頭を押さえられる。何か新境地の作品をと思っても然りです。ひと思いに飛び出してしまおうと考えたことも何回かあるという方々が多いのも事実で、しかし、大きなワクの中に入っていないと書では生活出来ないという切実な現状があり、慕ってくれるお弟子さんとの板ばさみで結局辛抱するハメになる。勇気という言葉は真に藝術を志す者にはなくてはならない言葉だと思う一面であります。
「書は藝術か!」との議論をするつもりはありませんが、私は「書は学問である(朱熹の小学書)」。そして書かれた「書」を鑑賞するのは彫刻、絵画等を観るのと同じ感性を要求されると思っています。書家は少なからず古典から書法を学び、現代に通ずる書の在り方を求めなければならないと思います。千二百年に亘って日本の歴史を綴ってきたのはまぎれもなく日本の文字なのですから。筆法もこうでなければならないと考える人がいても良く、このように変えても表現出来るという人がいても当然良い訳で、書かれた作品がすべてを語ります。 以下次号へ。
全日本美術『今月の課題』の
1996~2005年を単行本に
全日本美術編集主幹 松原清 著
A5版 272頁 定価2000円