今月の課題 「書の在り方 返信文書より(2)」 編集主幹 松原 清
早いもので4月に入りました。桜の開花が異常に早く3月末で散ってしまったところも多いとか。お花見は行かれましたか。桜の下で食べる料理は格別ですね。コンビニの弁当でもおいしく感じる。たかが花見、されど花見です。先月の原稿の続きを以下に記します。
「絵の世界でも模写というものがあります。最近自己の感性という面を強調するあまり、過去の名作を自分で真似て描ききってやろうという画家を美術館で殆ど見なくなりました。ルーブル美術館でもプラド美術館でも模写を頑張っている人を見ません。最近は印刷技術も進んで図録から模写も出来そうですが、やはり本物を見ないと色面の重なりと色の深みは解りません。どうしてこのような色が出るのか、どうしてこのような構成にするのか、自分が描く部位と本物との違いを追求する事が大切で、その違いを読み解く眼と蘊蓄がなければ模写さえも出来ないことになります。違いの疑問から何を学ぶべきかが明らかになるからです。名作を見た感動を模写を通して再現(ちょっとの違いもなく)する過程は体験を通じての理論の集積であり、そうした繰り返しの中に生まれてきます。自分の創作となった時にその経験が生きてきます。その上で過去を否定し、自分なりのやり方で感動を表現しようとするのが本来の芸術家の生き方だと思うのです。私は書家ではありませんから、どの書法(筆法)が一番良い、優れているとは断言は出来ません。先生の言われることもひとつの方向性として捉えたいと思います。
要は作品が何を語ってくれるかの一言に尽きると信じます。良い書を前にすると本当に心が落ち着きます。何かが沁みてくるというのでしょうか。
乱筆になり本当に申し訳ありません。これからも観るほうで頑張っていく所存です。そして私なりの鑑賞眼を磨き独自の評論で進めていくつもりです。」
以上が返信の全文です。独自の評論は展開したいけれどほんとに深い蘊蓄が必要で、この返信文から20年以上経ているのに迷う事ばかり。よくまあ大風呂敷を広げたものです。でも、今ちょとした危惧があります。評論誌がどんどん減って、評論家が美術界からいなくなってきています。私のいう評論家とは自分の足で展覧会、個展を巡り年毎の作家の仕事をちゃんと記憶してアドバイスの出来るひとのことで、美術館や博物館のキュレータではありません。後10年もしたら一握りのひとしかいない事態も。嘗ては詩人が絵画の記事を書いたり、美術団体が評論家を育てる時代がありました。その美術団体の内部崩壊が静かに進行していることも気がかりです。芸術家たらんと欲せよ。
全日本美術『今月の課題』の
1996~2005年を単行本に
全日本美術編集主幹 松原清 著
A5版 272頁 定価2000円