今月の課題 「原稿狂想曲」 編集主幹 松原 清
今月号は、筆者の担当が目白押しで、編集開始後の取材からカメラ画像の取り出し、枠取り加工、掲載者の決定、割付指示、はたまた次号カラーの確認可否のお願いで追われる中、必死で原稿に対峙した。まだこの仕事に就いた若い頃は、原稿書きはあまり苦痛ではなかったように思う。知らないと言うことはある意味気楽だったのだ。基本は5W1Hである。殆ど誰もが知っている、何時、何処で、誰が、何を、何故、どのように、である。この形式に取材で得た情報と若干の予備知識を当てはめていけば良く、しかし、今当初の記事を読み返すと6項目に抜けが多く見つかる。楽なはずである。作家と取材者との関係はそんなに甘いものではない。語りたくないこともあろうし、類推で安易に書けば大変なことになる。
昔は随分背伸びをして質問をしたことがあり、答えて頂いた内容が理解出来ないことや、その話に登場する作家の名前すら知らないことも度々あった。今なら「申し訳ないが自分はその人物をよく知らない」と言葉を挟むことが出来るも、その時は曖昧に、知っている風をよそおい、取材後必死で本屋さんで立ち読みしたり、必要な書籍を求めたものである。その点、現代はインターネットのお陰で、スマホ検索で殆どがクリアできるいい時代である。確かに言葉検索は楽になった。が、この美術評論という仕事の本分を自分なりに思うようになると、作品に対する疑問、何故、どのようにが重要な要素を占めるようになってくる。「何故この作家は、この作品を描(書)いたのか?」「どのようにして自分の作風を確立してきたか」この作品に行き着いた経路が知りたくなってくる
のだ。
最近、展覧会でギャラリートークを頼まれることがある。初見の作品に対して先ず質問することは、何を描(書)きたかったか。そこから筆者の推理が開始される。技法や素材はあくまで表現したい何かを描(書)き上げるための道具でしかなく、大事なのは初期動機だということだ。それが達成されていないことを知ることが、肝要であり、ギャラリートークはそのヒントに過ぎないのである。作家の深意を察することは難しいが、評論を続ける以上、作家が何を目指しているか、作品として出品されるそのメッセージを聞き取れる耳を持たなければなるまい。
コロナ騒ぎの緩んだ急激な忙しさに筆者の体と心は散り散りになりそうである。
今、世間はロシアのウクライナ侵攻で大変なことになっている。独裁政権の不気味さと怖さが表面化してきている。全てがお金、経済でまわっている。芸術は人の心を救えるのか。
全日本美術『今月の課題』の
1996~2005年を単行本に
全日本美術編集主幹 松原清 著
A5版 272頁 定価2000円