今月の課題 「〈 月 〉への思いを」 編集主幹 松原 清
2月は知らないうちに過ぎてしまった感があるも、1月半ば過ぎのケガを引き継いでしまった。夜ちょっとしたよそ見で、歩道と車道の段差を踏み間違えて前向きに転び、咄嗟に両手をついて頭は守れたが、眉間に眼鏡の鼻パッドがくい込んで大量出血、鼻下人中部も酷い擦り傷となった。土曜日のため病院にも行けず、次の日、大きめのマスクに眼鏡で自前の応急治療部を隠してハットを深く被り、どうにか取材をこなした。もう1ヶ月半が過ぎようとしているが、まだ完治していない。体力、視力も落ちた感ある。最近の運動不足のせいでもあるが、やはり自分に甘くなったのだろう。忍び寄る老い(物忘れも)、気を引き締めなくてはなるまい。
2日前、ゆっくりと夜空を眺めた。3月7日の満月である。幾分大きく感じられたが、やはり月見は秋の風情がぴったりとくるのだろう。因みに今年の中秋の名月は、9月10日、どの地域も18時台に東の方角に見えるとのこと。まん丸い月の中で、ウサギが杵を持ち上げているように見えるが、これは日本人の感覚で、中国ではヒキガエル、アメリカではライオンに見えるようだ。犬や鶏の鳴き声(擬音)の違いもそうした感覚の相違からくるものかもしれない。
月の話に戻ろう。ともかく日本人は秋の月に想いをよせて文を書いたり、歌を詠むことが多いからだろう。歳時記には9月の月には毎日違う呼び名がつけられている。「十五夜」の翌日は「十六夜(いざよい)月」。これは月が出る時をためらっている(いざよう)感じを指したことばか。十七日は「立待月(たちまちづき)」、庭先や門前で月の出を立ちながらちょっと待つ情景から。十八日は「居待月(いまちづき)」、家の中の居間や縁側で待つ月か。十九日は「臥待月」、「寝待月」とも言い、正に言葉通り。面白いのが、二十日の「更待月」で月の出は22時頃。昔は月の出を楽しみに待ち、月を眺めながら酒を酌み交わして談笑する風情ある習慣があったようだ。「宵闇」という言葉があるが、これは月が出る迄の間の暗さを指し、二十日を過ぎた頃に使われる。「二十三夜」の真夜中の月、そして三十日は「みそか月」「晦日(つごもり)」と呼ばれる。
これらは本来旧暦の言葉なので、新暦では8月にあたるが、8月の季節は昔は過ごし易かったのであろう。ひな祭り、端午の節句、正月も新暦に旧暦の呼称がおおっぴらに使われているから、月見も新暦に乗っかっているというのが現況だ。
最後に鎌倉時代の歌人・阿仏尼の『十六夜日記』から「身をえうなき物になしはてゝ ゆくりもなくいざよふ月に さそわれいでなん」を添えて、「月」を巡る思いを閉じたいと思う。
全日本美術『今月の課題』の
1996~2005年を単行本に
全日本美術編集主幹 松原清 著
A5版 272頁 定価2000円