―南画精神の精髄を示す―

会長 直原 玉青

  
 峨々たる断崖が海へ落ち込む難所を、足もとを確かめつつ歩を進む2人の旅人がいる。書き込みから、奥の細道の旅を続ける芭蕉と曾良が、難所の親不知
(おやしらず)にさしかかっている場面である。
 芭蕉が奥の細道へ江戸を旅立ったのは元禄2年の晩春、45才のときである。門人曾良を伴い、奥羽、北陸の歌枕を訪ね歩き、大垣に至る150日間の旅の間、体調を崩したりしながらの最後の難所である。ちなみに、親不知は飛騨山脈が日本海に迫り、険しい崖をつくっている。旧北陸街道最大の難所とされたが、今は高速道路となってうっかりするとその海岸美を見落としかねない。名の由来は〈親知らず子知らず〉で、その意味は親は子を、子は親をかまっていられないほどに険しい場所。
 ところで、玉青先生は102才。このモティフを選んだのは奈辺にあるか。おそらく、芭蕉が大変な苦労やつらい思いをして俳句の心をつかまんと長い旅をした。玉青先生も南画の精髄をつかまえようと長い間描き続けてきた。がこの道はきびしく、一つ山(難題)を越したかと思えば、また次の難関が待っている。その奥義には容易に辿りつけないものだ、という感懐を託したのではなかろうか。
 記念展図録には、「永く精神性芸術の南画運動に終始してきた」「我々は南画運動を世界の平和のためにも永久に続けなければならぬ使命がある。」「我々老人南画人は先立ちますが、…皆様のご精進をお祈りして止まない」と。
 日本南画院の、そして広く南画を志す人々の精神的支柱としての玉青先生ならではの、厳しい覚悟であり、いさぎよくも美しい心根である。私たちは心してこの作品に対峙しなければならぬ。  (中野)

     第45回記念日本南画院展より

  
   「奥の細道を行く芭蕉翁」