第52回 日本南画院展より
―より深い内面性と精神性の世界へ―

会長 町田 泰宣

 

 昨秋、11年の長きにわたる理事長を退任、会長に就任した。この間、公務として組織の運営に精力的に取り組む一方、一作家として意欲的な作品を発表し、多くの会員の制作の指針としてリードしてきた。その一つとして、写実(山水画)の中に作家自身の内面性、精神性を重視する姿勢を徹底してきた功績は大きい。
 さて、今作の「金山嶺長城」も意欲的であり、かつきわめて意志的な作品となった。秦の始皇帝が完成させた、全長2400キロメートルといわれる万里の長城、その金山嶺にフォーカスしたスケール感豊かな描写である。中央前景に精緻な筆致で金山嶺を生き生きと、そしてジグザグ状に連なる長城を簡潔にとらえている。
 ポイントの一つは、前景と後景の中間に配した雲霧である。この挿入によって前後の奥行き(距離)感を生む一方、適度の余白となって良き間合いをつくり出している。
 もう一つは、視点の移動にある。金山嶺をやや見下ろしながら雲霧を水平視線とし、その先の連綿と続く長城は徐々に視線を上げながら、霞む山並から天空へまで運んでいく。この視点の移動と相関してリズム感ある筆致の律動によって、画面に謂わゆる気韻生動が生まれているのだ。
 気韻生動とは、周知の通り6世紀初頭に謝赫の「画の六法」の最初にあげていることで、「気」は生命のエネルギーの絶え間のない流れで、それが「韻」と組み合わされて、生命感が伝わる様子を意味するが、更に私見では作品と観る側の間で通い合う「気」の動きの存在をも意味しているのではないか。視点の移動とスケール感によって、観る側も作家の視点を共有し、そのことによって作家の気を感じることで、作品に生命が宿るのであろうと思う。
 そのことが先に触れた、内面性、精神性の重視につながるのではないか。
 想いがなければ絵は生まれない。技術を活かしスタイルを活かすには、溢れるほどの内なる想いがなければならない。そのことによって絵は豊かな生命を宿すことになる。(中野)

 

金山嶺長城