―九十九谷からおくられたもの―
―具象から抽象を想起させる深淵の画面―


高頭信子日本画展

● 4月24日〜30日
● 京橋/ギャルリー・コパンダール

 

 東方美術協会会員、大田区美術家協会名誉会長の高頭信子さんの個展。ここ京橋の画廊では近年、隔年で開催している。その都度筆者の目には高頭さんの深い画面が焼き付けられてきた。そしてその深さを記憶と記録に残すため記事にもしてきた。今、それを読み返すとともに、筆者の目から心から離れなかった画面を想起している。2021年のそれは「夜の森」。このときは全作葉書サイズのミニ作品であったが、大きさは全くと言っていいほど関係なかった。むしろ葉書の小空間だからこそ高頭さんの深い筆致が日本画材に溶け込み、より深淵の具象景を創出していた。またそこには書も介在していた。2023年は「九十九谷からの連想」と題し、今回展につながる展観であった。このときは「赤い三日月の夜」を掲載した。親子が坂の途中でふと見上げた先の赤い三日月、夜の深い大気の流れが高頭さんの筆と絵具で何度も画面奥に塗り込まれていた。それは心象風景そのものに見えた。師の川端龍子に言われたことがある。「具象を描いて、なおかつ観る者にその作品から抽象を想起せしめる態の作品をこそ」。この言葉の重さが高頭さんの作画精神の第一となっていることを確信する作品であった。そして2025年の今回は「九十九谷からおくられたもの」と題し、約20点が展観された。高頭さんがずっと居を構える大田区は東京の中でも特に山坂の多いところ。九十九谷と呼ばれる由縁もそこにある。そんな地元にまつわる景に歴史観を加え、さまざまの角度から捉えた画面はまさに高頭さんの孤高の世界のように映った。普段は寡黙な高頭さんが画廊でふと漏らした言葉。「追っているものが違う」それを聞いたとき、高頭芸術の神髄に触れた思いになった。「日本画の心」を最も大切にする画家の真骨頂。技巧を超えるものがあるかないか、そこにこそ高頭信子の作画魂が潜んでいる。掲載作「裸木の夜景」を見たとき、その思いは一層強まった。そこには坂の上に佇む高頭さん自身がいた。冬枯れの裸木の狭間からのぞく民家の窓の明かりがいかにも温かい。人の気配はないが、観る人の心にはそれが確実に宿っているだろう。そしてそこからいろいろの想像が生まれる。筆者はしばらくこの画面に釘付けになった。この現象が龍子の言う具象から抽象を想起させることなのかと。空は夜の静寂に覆われ、そこに吸い込まれるように立つ裸木。人々の営みと永遠の自然の間合い。九十九谷からのおくりものが高頭さんの筆を動かした深淵の画面である。
 高頭信子さんは齢95歳。決してそのお歳には見えない矍鑠とした立ち姿。やはり一本筋の通った作家は生きざまが違う。何より化身である作品がものを言う。この先も楽しみで仕方がない。(篠原)

 

裸木の夜景〈10F〉