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Work No.32

知章騎馬似乘船…

第74回日本書道院展(2025.05)
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〈深い感性が奏でる自在な表現〉
飲中八仙歌 杜甫
第74回日本書道院展が東京都美術館で開催され、最終日にこれまでを上回る会期間入場者数を記録、打上げの授賞式、懇親会に於いて一部大入り袋(ワンコイン)が配られた。
16面に注目作品を挙げたが、このところ書家としての境地に深く向かおうとしている中村雲龍会長の漢字作品を紹介した。(詩文書は16面)
改めて中村雲龍の書の履歴を追ってみよう。1940年埼玉県戸田市に次男として生まれ、三歳より書への関心を寄せていたというが、父(号・藤山)母(号・香桂)とも書家であったことが大きい。浦和市岸中学校で終生の師との邂逅を得る。同校教員の大澤四峯その人である。古典に目覚め、浦和高等学校に入学後も張猛龍の臨書、倣書で過ごし、後に鄭道昭、王鐸などを学んでいる。高校は進学校であり、成績優秀で東大医学部に現役合格するが、クロロフォルムなど薬品にアレルギー体質との事が判明、退学を決意した。先生、家族や知人からは転部するよう強く説得されたが、本人は喜々として退学を選択し、書三昧の生活に戻ったと聞く。後にインターンで手術に立ち会って大量の出血を見て倒れたなどのフェイクが語り継がれたらしい。
1965年、25歳の時、四峯同門会(のちに四峯書道会)設立のキーマンとなり、翌年に日本書道院への出品を始め、初出品で特選を受賞した。書道院出品6年目で準大賞を受賞、2年後には第一部審査会員に推挙され、更に2年後に同・監事、師の逝去に伴い四峯書道会会長を引き継ぐと同時に田中凍雲の益を受け、右腕的存在となった。その後同・理事となり、現在に至るまで訪中を繰り返し実施してきている。
中興の祖であった前会長・田中凍雲氏から中村雲龍氏にバトンが受け継がれたのは、ミレニアムに開催された雲龍氏の初個展の翌年、88歳から61歳への大決断であった。が、その素地は積み重ねられていた。師・大澤四峯の十三回忌を期に四峯書道会を「開玄社」とし、「中村雲龍とその仲間達展」を立ち上げ近代詩文書への取組みを始めている。漢字、かな、近詩文の指導、先読みの重要さは既に発揮されていた。
随分と書歴を追ったが、作品に話を戻そう。作品は杜甫「飮中八仙歌」。同時代の酒客八人 知章、李璡、李適之、崔宗之、蘇晋、李白、張旭、焦遂を選んで詩を詠んだとされている。
自他とも認める現代の酒仙の中村雲龍の正に真骨頂、酒酔で揺れる気持ちのリズムにのせて筆が運ばれている。行間、継墨も自在で、まさに自然の調和がある。(松)
知章騎馬似乘船 眼花落井水底眠 汝陽三斗始朝天 道逢麹車口流涎…

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知章騎馬似乘船… — 中村雲龍