第40回記念由源展より
―一貫した学書姿勢を堅持―
会長
尾崎 邑鵬
日本藝術院賞受賞作家で読売書法会顧問、日本書芸院名誉顧問の尾崎邑鵬氏が主宰する由源会の書展が、今年40回の大きな記念の節目を迎え、盛会となった。
いつも、実直で「書」の本質を習得すべく修練を自らに課してきた尾崎邑鵬氏。藝術院賞を受賞した以降もその姿勢を貫き、また自社中のみならず、書道界全体に目を配り後進の指導と育成に尽力してきていることは周知のとおりで、矍鑠とした92歳、書人としての生き様にブレはない。
尾崎氏は、大正13年京都宮津に生れた。少年の頃より、辻本史邑主宰の機関紙「書鑑」に親しみ、同誌の競書で好成績をとったことを切っ掛けに書にのめり込んだと聞く。戦後昭和21年、史邑門の廣津雲仙の鄭道昭調作品に惹かれ雲仙の指導を受け、北魏の書への契機となった。もちろん鄭道昭ばかりでなく瑞図にも魅力を感じ吸収した。しかし、雲仙調との本質的相違を感じ、昭和29年、史邑師の直接指導を受けるようになる。史邑師が逝去される僅か3年間であったが、師の作風から金冬心、鉄斎の書を学んでいる。金冬心は、史邑師が晩年傾倒し、臨書に熱中されたが、その頃に邑鵬氏も教わったという。
その後、邑鵬氏に転機が訪れる。史邑師の没後、青山杉雨に師事、邑鵬氏の書への実訥さと非凡な才能を認めた杉雨師のもとで一躍書道界に羽ばたくのである。
青山門に入り、昭和38年「陸游詩」で念願の日展特選受賞を果たす。40年代に入ると、学んできた鄭道昭、瑞図、金冬心、鉄斎に董其昌、傅山、木簡も加味した尾崎調の作風が確立してくる。破筆の巧みな用筆で魅せる氏の作品が登場するのもこの頃からである。昭和45年改組第2回日展で菊華賞受賞。日展会員に就任。昭和56年第14回日展で会員賞受賞。そして、昭和61年に文部大臣賞を受賞し、平成5年「杜少陵詩」で日本藝術院賞を受賞し、漢字界での確固とした地位を確立した。
今記念展より、漢字作品と調和体作品2点を挙げた。漢字は最近大字が多いので小字の行草にしたというが、董其昌の風趣が香る爽やかな単字の響きがある。調和体も自然に蔵鋒が入り格調ある響きを放っている。益々の健筆を祈念したい。(松)
