―際立つ筆線の充実―
  劉  蒼居

 第37回日展より劉蒼居「袁枚詩」を紹介させて頂いた。「浴罷憑欄立 高雲掩夕陽 不知何處雨 微覺此間涼」と二聯で大胆と細心をリズムとして取り入れながら、気脈が心地よく途切れなく繋がっていく。覇気を押さえながら深い存在感を醸す近年の佳作である。
 氏は、「筆に書かせてもらう」とよく言われる。古典を習熟すれば自ずと筆路は決まると語り、空筆からの「点」の位置は目をつぶっても同じ所にくると実践する。「書」は書法のもとに成立し、技術習得なくして自風の「書」の確立は出来ないと断言する。だから、始めから情緒的なものに流れてはならないと後進にも厳しい指導を続けている。そうした自分にも厳しい書学姿勢は、書の面白さに魅せられ、本格的に書に取り組んだ46年前から今も変わらない。2003年の日展総理大臣賞受賞以降も、益々充実した作品を生みだしてきたことが何よりの証である。
 劉蒼居(振角昭彦)は昭和16年、香川県豊浜町に生まれた。子供の頃はスポーツ少年として野球に打ち込んでいたが、昭和35年に富士製鉄(現新日本製鉄)広畑工場に入社。上司の勧めで書道を習い始めたのが発端で、その時の書道の先生の師が木村知石氏であった。
 2002年の兵庫県文化賞受賞の時、劉氏はこう語っている。「書を始めて、最初に感動したのは墨の美しさでした。墨にはこんなにも色があるのか。かすれ、にじみ、墨の色の魅力にとりつかれてしまったんですよ」と。そうして5年後には製鉄所を退職、木村知石に最年少で入門、直弟子となった。弟子には厳しい指導で鳴り響いていた知石師だが、朝から真夜中までとにかく勉強、勉強で書に体ごとぶつかっていく劉氏にことのほか目をかけ、熱心に指導したと聞く。そして入門の年に日展初出品で初入選を果たすのである。氏名とも異なる雅号は知石師が命名、玄雲には凄い若手がいると言われるようになるのもこの頃からである。昭和56年、57年に日展連続特選受賞し書家としての地位を確立、しかし翌年の知石師の急逝で、木村家が玄雲を閉じるという事態となり、若い同門の書家に押される形で玄心会を立ち上げ、知石師の書を継承していくこととなる。筆者が初めて劉蒼居氏にお会いしたのはこの頃で、正に書の申し子といったイメージであったことを思いだす。その書に対する真摯な姿勢は日展会員賞、総理大臣賞受賞後も一向に変わらない。次代の書道界を牽引する貴重な書家であることは衆目の一致するところだろう。      (松)

 

     第37回日展より

     「袁 枚 詩」