全日本美術 ALL JAPAN ARTS
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Work No.34

天馬 他

高木聖雨書展(2016.11)
〔収録作品〕
①天馬
②建始
③総社吉備路文化館会場風景
④会場(総社吉備路文化館)
⑤駿歩
⑥蟾魄
⑦躍如
⑧不愧少遊
⑨李白詩
⑩世繁
⑪釈処黙詩
⑫張瑞圖句
⑬総社東中学校校名板
⑭新総社大橋の橋名板
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● 8月5日~9月25日 ● 総社吉備路文化館

 日展会員・謙慎書道会理事長で現代書道二十人展メンバーの高木聖雨が、ふるさとの岡山県総社市では初めてとなる書展「魅せる黒白の美」を開催した。
 展示作品は、総社市文化振興財団へ氏より寄贈された、平成元年の改組21回日展特選「天馬」、平成5年の改組25回日展特選「建始」の2作品と総社市に寄贈された平成元年以降の作品22点に昨年の改組新第2回日展で文部科学大臣賞を受賞した「駿歩」を加えた25点。日頃愛用している文房四宝の硯、墨、筆と落款印の一部も並べられた。周知のとおり高木聖雨は、文化勲章作家(かな書)の高木聖鶴の子息であるが、「かな」の道を選ばず「漢字」の世界を目指した。「反骨心に似た感情」からとお聞きするが、いろいろとエピソードがあるようだ。その一端が小社刊行「昭和二桁世代・現代書家の素顔―田宮文平著」にも記されている。父・聖鶴が独学で書を始め、全国の教書誌や書家に教えを乞うた末に内田鶴雲こそ生涯の師と決めたのが1947年、24歳の時。その3年後日展初入選を果たしている。聖雨1歳の時である。しかし初入選後連続4年落選。聖雨はその頃近所の子供達と習字を学んだ記憶があるが、父は勤めから帰り夕食が終わると、書室にこもって午前2時過ぎまで一切出てこなかったという。
 「書を生涯学習に、これが天命と定めて出発した以上、人の3倍努力してきました」と今も言い切る父・聖鶴のすさまじい書学の一端が知れるが、父子のふれ合いもなく、その反発で習字もやめてしまった。高校を卒業したのは、聖鶴主宰の「聖雲書道会」創立の頃。まだ特選受賞6年程前の挑戦期に重なる。大学進学で経済学部か文学部か迷っていたとき口をすべらせた一言「書でもやるかな」に父が激怒したという。「親が一生命をかけて学んでいる書を〈でも〉とは何事か」と。しかし、筆者は思う。高木証券の御曹司として何不自由ない生活が保証されている中、これほどまでに「書」に没頭出来る父に、内心尊敬の念が芽生えていたからこそ出た言葉ではないかと。文言は軽いが気持ちは深い。それと同様に自分の元で「書」をやれと一切語らなかった父の生き様。
 父はしっかりと師を選ぶことを条件に上京を許し、大東文化大学に入学。そして父と同じく生の師を決めた。敬愛する青山杉雨の元での厳しい修行が始まる。昭49年日展初入選。平成元年・5年に日展特選。杉雨逝去後は的確な決断力で謙慎の中心的役割を担うようになる。平成18年日展会員賞。27年日展文部科学大臣賞を受賞。鶴文社理事長。郁文社主宰。大東文化大学書道学科教授。日本道ユネスコ登録推進協議会総務部長を兼務する。(松)

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天馬 — 高木聖雨
天馬 平成元年(1989)改組第21回日展 特選 総社市文化振興財団蔵
建始 — 高木聖雨
建 始 平成5年(1993)改組第25回日展 特選 総社市文化振興財団蔵
総社吉備路文化館会場風景 — 高木聖雨
総社吉備路文化館会場風景
会場(総社吉備路文化館) — 高木聖雨
会場(総社吉備路文化館)
駿歩 — 高木聖雨
駿 歩 平成27年(2015)改組新第2回日展 文部科学大臣賞
蟾魄 — 高木聖雨
蟾 魄 平成元年(1989)総社市蔵
躍如 — 高木聖雨
躍 如 平成7年(1995)総社市蔵
不愧少遊 — 高木聖雨
不愧少遊 平成26年(2014)総社市蔵
李白詩 — 高木聖雨
李白詩 平成10年(1998)総社市蔵
世繁 — 高木聖雨
世 繁 平成12年(2000)総社市立常磐幼稚園蔵
釈処黙詩 — 高木聖雨
釈処黙詩 平成25年(2013)総社市蔵
張瑞圖句 — 高木聖雨
張瑞圖句 平成23年(2011)総社市蔵
総社東中学校校名板 — 高木聖雨
総社東中学校校名板(正門) 平成28年(2016)
新総社大橋の橋名板 — 高木聖雨
新総社大橋の橋名板 橋名揮毫・河川名の揮毫 平成28年(2016)