第87回謙慎書道会展から高木聖雨理事長の出品作を紹介する。この作を一見したとき、驚きもあったがそれよりも深い納得感に覆われたことを思い出す。そして見れば見るほどその要因に気付かされる。まず何といってもこの白の美しさを感じて止まない。どこを見てもだ。つまり無駄な白がないということ。では何故そう見えるのか。一つは横画が狂いなく水平に書かれていること。そして縦画も垂直に引かれる。聖雨氏は「作品のどこかに垂直線は必要」と言う。なるほど、この作においては膽字下部の中央よりのそれが相当するのだろうか。これら水平垂直の線は回りの白を安定させる役目がある。特に横画は右に少しでも上がればその周囲は騒がしくなるものだ。更に一つは二字それぞれの結構の違いによる白の創出だ。張字は円勢、膽字は方勢。その結果、右側の白には穏やかさが、左側には厳しさが生まれている。それらが一紙に同居して互いに呼応しているように見える。プロフェッショナルとは一ミリ一秒に拘るとよく言われるが、視覚美術としての書においても同様のことが言えるのではないか。こういう作品に出合うと、その思いがこみ上げてくる。その上で素材の「張膽」を噛みしめてみると、そこには聖雨氏自身の心情が込められているように思う。「大胆に構える」書そのものでもある。(篠原)
第87回謙慎書道会展から高木聖雨理事長の出品作を紹介する。この作を一見したとき、驚きもあったがそれよりも深い納得感に覆われたことを思い出す。そして見れば見るほどその要因に気付かされる。まず何といってもこの白の美しさを感じて止まない。どこを見てもだ。つまり無駄な白がないということ。では何故そう見えるのか。一つは横画が狂いなく水平に書かれていること。そして縦画も垂直に引かれる。聖雨氏は「作品のどこかに垂直線は必要」と言う。なるほど、この作においては膽字下部の中央よりのそれが相当するのだろうか。これら水平垂直の線は回りの白を安定させる役目がある。特に横画は右に少しでも上がればその周囲は騒がしくなるものだ。更に一つは二字それぞれの結構の違いによる白の創出だ。張字は円勢、膽字は方勢。その結果、右側の白には穏やかさが、左側には厳しさが生まれている。それらが一紙に同居して互いに呼応しているように見える。プロフェッショナルとは一ミリ一秒に拘るとよく言われるが、視覚美術としての書においても同様のことが言えるのではないか。こういう作品に出合うと、その思いがこみ上げてくる。その上で素材の「張膽」を噛みしめてみると、そこには聖雨氏自身の心情が込められているように思う。「大胆に構える」書そのものでもある。(篠原)