井茂 圭洞
第34回読売書法展が国立新美術館と東京都美術館で盛大に開催されたが、その中、藝術院会員で日展副理事長の井茂圭洞氏の作品にスポットをあててみたい。
今回の作品は「自然」と題した良寛3首と世阿弥『花鏡』からの「初心」2点の出品だが、国立新美術館陳列の良寛の作品を挙げる。1首目は「白浪の 水際をみわたせば末はくもゐに つゞく海原」と中央部を4行で書し、続いて「朝露に きほひてさける 蓮葉(はちすば)の ちりにはしまぬ 人のたふとさ」と大きく展開しながら最終部を小さな文字で締めた。そして右下に十分な行間をとって前終行部の文字の大きさを主体に「なにごとも うつりのみ行くよのなかに 花は昔の春にかはらず」と漢字作品の落款部の如く3首目を配して完結させた。
「制作時の心の動きを書線に封じこめるよう留意した。運筆の緩急など相反する要素による矛盾抵抗の美を目指した」と、この作品に対する井茂氏のコメントがある。かなの美は、1、至簡の美2、流麗の美3、切断の美4、墨法の美5、余剰の美があり、重厚と軽妙といった相反するもの、大きくても細い文字、小さくても墨がたっぷり入っている文字など、夫々異なる要素の調和を図りながら創意に作品を導くことを『矛盾抵抗の美』の具現と筆者は理解しているが、何よりも凄いなと思うことは、良寛の歌を書しても良寛の文字を全く意識していなく、歌意を自身で昇華させて自身のスタイルで表現していることである。創作だから当たり前のことだが、こと良寛信奉者は文字の雰囲気まで似てくるから困ったものである。この1首目の歌は、今年の現代書道二十人展に小品としても出品されていた。大自然を前にした時の人(己)の小ささ、人の心の移ろい、事物の変化があろうが、自然は悠久に流れている。その中に生かされている今の尊さを思う。を主題に据えたと筆者は読んだ。 (松)
