第六十七回 現代書道二十人展より

―心象の具現を包含した「新春の梅」―


文化功労者
日本藝術院会員

井茂圭洞
―

 今年の現代書道二十人展に出品された井茂圭洞氏の四作は全て「梅」にまつわる素材であった。うち三作は万葉集収録の歌で、しかも元号の由来となった第五巻「梅花の歌」に含まれているもの。軸装小品の「梅と桜」(4面掲載)は「うめのはなさきてちりなばさくら花つぎてさくべくなりにてあらずや」と、梅と桜の連動に広い余白の明るさで呼応した作となっている。額装による「梅の生」には二首。「のこりたるゆきにまじれる梅の花はやくなちりそ雪はけぬとも」「よろづよにとしはきふともうめのはなたゆることなくさきわたるべし」と、時の永遠を梅の花に託し、春への希望をのぞかせるような明朗の線条、躍動の余白があった。両作に通底する広い余白は井茂氏の提唱する要白そのものに見える。そしてここに挙げた「新春の梅」。実作は二曲金屏風の装いだ。従って中央部の隙間は屏風の折れ目と見ていただきたい。「正月になって春がやってきたなら、梅の花を招いて楽しみ尽くそう」の意が井茂圭洞の熟練の筆致で大きな展開を見せている。そこには直筆の鋒が紙を噛み、運筆の呼吸までもがにじみ出るようだ。また構成においても、その大らかさとは裏腹に巧みな用筆が細部にまで達し、決して緊張感を緩めない二律背反の美を保っている。「梅」シリーズ三作を締め括るに相応しいこの作、井茂圭洞の心境そのもののようにも見え、そしてそれは心象の具現かもしれない。また一歩飛躍した見方をすると、「梅花の麗しは雪に耐えてこそ」とも取れる。暗い世情だからこそ、敢えて梅の歌詩の連作としたか。書壇第一人者としての深い使命のようなものを感じ取るのである。
 遡ること35年、神戸全美10周年企画として実施した対談。井茂氏、今は亡き桑田三舟氏、小社代表松原清、そして筆者。その場での井茂氏は関戸本古今集について静かに熱く語られていた。この作を前にしたとき、思わずその時の光景を回想した。井茂氏は現在も「関戸本古今集はあらゆるかなの美の要素が包含されている」と説く。この時の流れこそが一流の証ではないか。そしてその実、作品そのものがそれを物語っている。やはり書は、古を突き詰めることにこそ未来がある。 (篠原)

 

 

 


正月たちはるのきたらはかくしこそ梅をゝきつつ
  たのしきをへめ (大貳紀卿)   
660×500×2

写真提供:朝日新聞社