兵庫県書家のダブル受章/顕彰
〈文化勲章〉 〈文化功労者〉
井茂圭洞 黒田賢一
令和5年度の文化勲章受章者と文化功労者顕彰者の発表がなされたが、「書」の分野において、これまでにない同じ県からのダブル受章/顕彰が生まれた。
文化勲章受章の栄に輝いたのは井茂圭洞氏。文化功労者顕彰から5年、その顕彰事由は「斬新な『散らし書き』が、伝統美の品格と現代の造形感覚を兼ね備え、高く評価」と記されていたが、その後、日本の書をユネスコの無形文化遺産に登録する活動の中心として尽力、高所から書壇の健全性を見守り、多様性を持った書藝術の発展に大いに貢献してきたことは周知のことである。
氏は昭和11年神戸市に生まれた。高校在学中、恩師となる深山龍洞氏に邂逅し、師の真摯な生き方に感銘を受けて書の道に進むことを決断する。京都学芸大学美術科(書)卒業。その年に日展初入選。漢字は王羲之を中心に多くの古典を、かなは三筆・三跡をはじめ、平安古筆の全てを渉猟。そして深山師の生き様から矛盾抵抗の美と要白の重要性を看取して独創性豊かな書風の基盤を確立した。平成15年に日本藝術院賞、同24年には日本藝術院会員に推挙された。当初から師の創設した一東書道会に所属し、会長として後進を指導、日展でも書科初の副理事長に就任した。現在87
歳、益々意気軒昂である。
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文化功労者顕彰を受けた黒田賢一氏は姫路市出身、76歳。日本藝術院会員に推挙されたのは、令和元年だから、5年目の快挙となる。
「かな書」に興味をおぼえるようになったのは、西谷卯木門の前田古潭の教室に入ってからと聞く。その ことが黒田氏の運命を決することになる。卯木師の直接指導を受けるようになり、3年後、21歳の若さで日展に初入選を果たすのである。その数年後には、毎日展で毎日賞を受賞。正筆会に「黒田」という書き手がいると全国に知られ出した時期に重なる。しかし、昭和54年に卯木師が急逝、正にこれからという32歳の時である。氏はその試練に真っ向から立ち向かった。昭和61年、平成2年に日展特選を
受賞し、書家としての地位を確立する。が、今度は正筆会に危機が訪れる。相次ぐ会長の死去だ。その時の、黒田氏44歳での理事長就任は正筆にとって大決断であった。また、今の書域の幅と深さを獲得したのは日本藝術院賞受賞後の約1年近くの闘病生活ではなかろうか。顕彰を大いに祝すと共に、更なる活躍を期待したい。
(松)