柔和で、なんと厳かな画面空間であろう。津々と時を刻んだ精神が、母子のフォルムを紡ぎ、ゆったりと沈着させる。怒りも、悲しみも、喜びも、色彩となって流れ出し、樹根の化石のように襞を張り巡らせる。動けないけれど拘束感は一切感じない。柔らかく輝く慈愛の魂が母と子を繋いでいるからだ。この世界はとりもなおさず中島敏明の精神世界であり、氏独自の小宇宙としてある。
「やっとこんな境地に辿り着いたよ!」と言う声なき声が聞こえてきたようだった。会場で、この作品と対峙した筆者の第一印象である。で、おもむろに題名をみると「慈悲〈黒い海〉」とあった。右下の穴の窓は精神世界と現世を繋いでいるのだろう、そこから見える黒い海と空、これは3・11で多くの人の命をのみ込んだ津波である。その人達と縁者の魂の浄化、レクイエムが今作の主題だ。思いが深く、その思いを卓抜な構成力と色彩が支えている最高傑作だ。
氏の絵画観の変遷、その原点は1995年頃から始まったelegy シリーズに遡る。人物描写にムーア的マス表現を取り入れ独自の表現イメージが萌芽したのは83回二科展の会員努力賞作「elegy
98-3」。人物のモデルは妻のミヨ子さん。まだ氏が写実表現だった頃からだという。そして3年後2001年、何とも言えない深い憂いを内包したこれまでの傑作「ウズクマル」を生みだした。今作は2002年の内閣総理大臣賞受賞作品「慈しみ」が原型となっている。この作品は妻の闘病の中での制作であり、言い換えれば妻の回復を願っての作品であった。しかし、二科展開催の六日前に亡くなってしまった。最愛の人を亡くした氏の悲しみ、慟哭を今も忘れられない。その時から中島氏の時間はしばらく止まった。が、2009年の「elegy-'09(哀)」で真摯に自分と向き合う中島氏がいた。「生きることは如何に死ぬかという命題を常に背負う。喜び、怒り、悲しみ、憎しみ、そしてそれらを超越した慈しみ。様々な想いを心に秘めて作家は自らに問う。人とは、家族とはと」。
そして揺れる思いも収束し、ある種達観の境地「あるがまま」に至る。想いを自らの深層に沈着させて。(松)
