スウェーデン在住45 年
しばしの雌状を過ぎ、新たなる始動へ

中島由夫 の世界

 

● 5月13日〜19日 ● 横浜 みなとみらいギャラリー
● 6月8日〜21日 ● 仙台 ギャラリー「ターンアラウンド」
 ※ 6月8日仙台「ハトの家」倉庫だった

アートスペースでのパフォーマンス
10月10日〜15日 ● 神楽坂 アユミギャラリー階

 スウェーデンのヘルシンボルグ・ラウスに2011年6月、オープン直後の中島由夫美術館を訪れてから、早2年以上が過ぎた。高い吹き抜けの天井に白い壁の現代アートにピッタリと合致する館内に、超大作から小品までの中島作品が飾られた様は正に圧巻で、スウェーデン在住44年のエキスが充満していた。
 そんな中島氏が、半年も経たずにスウェーデンのアトリエと美術館を子息のアンデス氏に託し、作品約1万5千点と共に日本に帰国。2004年に奥様と死別以来ずっと頑張っておられたが、再婚されたのである。「ずっとスウェーデンを拠点に世界中駆けずり回った半生だったが、70歳を過ぎてやはり日本の風土の中で制作をしたい、そしてこれまで制作してきた作品の多くを日本に残したい、という思いが高まった」と中島由夫美術館訪問時にお聞きしていたのだが、流石に即実行の人である。これからの人生の伴侶も同時に見つけてしまうのだから…。
 帰国後、一年間ほど展覧会活動を休止して今後に備えるとお聞きしていたが、19歳で単身横浜から船に乗ってアジアに渡り、ヒッチハイクでベトナムに行き着いた時に見た感激のアンコールワットを奥様と巡り、また広島を訪れて原爆の悲惨さを改めて深く受けとめたという。この思いを全身で表現したい。恐らく「生きるとは何か!」を強烈に自覚したのであろう。そして描きに描いたのである。
 名古屋丸栄の2月の個展を皮切りに日本を拠点とした新たな活動がスタートした。個展終了の3日後には三鷹駅前北口の屋外広場で2日間に渡る単独ライブペイント(2×8メートル・2枚)も実施された。
 紹介の作品は、ベトナム訪問で生まれたもので、中島のメッセージが添えられている。「孤立や苦しみや寂しさ。そのようなものを含めて、あふれるような幸せ。満月と新月が出会うように。かつてのベトナムは_の戦い、まずしさからの憎しみ。もう決してあってはならないこと。」あらゆる感情が色粒の光に包まれて、心の中に染入る耀きがある。(松)

 

 

 

 

 

満月と新月の出会い  変40号