中島由夫 展
THUNDERBIRD 2017
ダダ〜コブラ  そして…


●10月28日〜11月8日
● 神戸・ギャラリー島田

 高校時代、「ぼくは日本のゴッホになる」と絵描きに憧れて上京。しかし、美術界は反芸術(ダダイズム)が勃興する真っただ中で、アンデパンダンに始まり、パフォーマンス集団「アンビート」を結成。その頃知己を得たダダカンこと糸井貫二らと共に銀座など東京での街頭アクションを繰り広げた中島由夫。そんな中島にロッテルダム美術大学教授ダニエル・ゴールデンが興味を示し、大きな転機が訪れる。交換留学の意志を尋ねられるのである。普通の日本人なら二の足をふむところだが、即決し香港までの旅費を持ってヒッチハイクでバイトも重ね30ヶ国を踏破してランダに辿り着く。その後も現地でのパフォーマンスを繰返すが、過激さを増して国外退去処分となる。その後、中島の活動を知るアスカー・ヨルン、その弟ヨルゲン・ナッシュなどCOBRA のメンバーと親交を深め、日本人として唯一その運動に加わったことが、今日の中島の国際的芸術活動の根幹となった。以降の活動はしばしば記してきたので省くが、北極海に長期取材し「北欧の太陽」の作家として中島の活動の一面が日本にも知られるようになった。が、世界的な規模で中島が開いた「ウベボダ・シンポジウム」やコブラ財団よりアスカー・ヨルン賞を受賞し、世界的なアーティストとして認められていったことは日本に殆ど伝わらなかった。アンディー・ウォーホルやパナマネンコなどとも交流していた事実も殆ど知らない。
 この度、2010年の明石市立文化博物館の大個展以降、7年ぶりで神戸・ギャラリー島田(それまでは海文堂時代から定期的に個展を開催)での個展が開催された。最近、中島由夫の再評価が静かに進んでおり、膨大な写真、手紙、新聞記事、それらのイベントに常に参加した中島の軌跡の整理と活動記録が、美学研究家・嶋田美子さんにより纏められつつある。今展初日、嶋田さんの記念講演と中島由夫とのトークが企画され、多くの中島ファンが集った。(松)

 

 

 

 

my LOVE PAX NIRVERNER

2014.06 のパフォーマンスポスター (左)中島(右)ダダカン