「ダダカン」こと糸井貫二氏が、昨年12月19日に老衰で亡くなった。享年101歳。日本のダダイズム(既成概念を壊す芸術思想『ダダ』)の魁、先駆者として1951年頃(31歳)からその表現活動を開始している。以降、ハプニングやパフォーマンスを伴う活動へと移行するのだがノ。
そんな時系列の中に導かれるように遭遇した若者がいた。中島由夫である。彼は、15歳で「僕は日本のゴッホになる」と宣言して上京、高校入学。その年にアンデパンダン展を見て感動、野外での初個展を開催している。翌年、東電画廊で開催した中島の個展にダダカンが訪れるのである。(故)宮崎輝夫(画家)の談話に「彼(ダダカン)は前衛的な作品を作る若い人が大好きでね。誰かの個展に顔を出して、気に入った絵がないと、何も言わずにスーッと会場を出ていっちゃう。気に入ると、その場で『儀式』をやるんです」というくだりがある。真っ裸になったかは存じないが、それ以来、中島はダダカンの信奉者になっている。というのは、次の年に日比谷画廊での加賀見政之(後のアンビートメンバー)の個展にもダダカンが来訪。その後、加賀見と共に大森の「いとい・かんじ美術研究所」に毎週通っているからだ。この年、中島は来日したジョルジュ・マチューのアクションペインティングを見ており、それをヒント?に「ムービング・オブジェ」を開始している。自分の体をキャンバス、造形モデルにしたパフォーマンスだ。この様式は海外でのパフォーマンスにも受け継がれ、強烈な印象を見るものに与え続けてきた。北欧のコブラ運動に参加した唯一の日本人作家として今在るのは、ダダカンという生き様が目の前にあり続けたからではなかろうか。
今展のメイン「極北の春」は白の輝きが清楚で静かな世界を構築している。ある意味ダダカンに対する感謝とオマージュが込められている。(松)
