中 島 由 夫 展
芸術家は究極は個に帰する。故に様々なドラマを活動人生に内包するが、破天荒な画家人生を歩んだ人の代表的なひとりに中島由夫を数えることができるであろう。
1940年、埼玉県川本町に生まれた中島は、12才の時にゴッホの作品を見て画家になることを決意。15才で上京し、その年に初個展(野外)を実施している。月岡栄貴、本目勇市氏らの励ましを受けながらも彼が目指したものは現代アートの世界であった。56年にダダイズムの祭典に参加し、糸井貫二氏に出会ってから一層ダダの運動にのめり込んでいく。19才の時ひとりで船に乗り込み東南アジアを皮切りにインド、中東と巡り、ヨーロッパまで無銭旅行に近い放浪をしたというが、64年には国立ロッテルダム美術大学の交換留学生として渡欧している。その頃に日本から彼を追ってきた文子さんと結婚されたと思うが、ヨーロッパの中で芸術活動を展開する中島をかげから支えた。66年には長男アンデスが誕生したが、中島は制作の拠点をその年からスウェーデンに移している。コブラ運動の創始者アスカー・ヨルンと出会いスウェーデンのヨルゲン・ナッシュ氏を紹介され、スウェーデン政府の国費留学生となったからだが、福祉制度が最も進んでいて、国から最低限の生活保障が受けられたという理由も大きい。彼はコブラ運動に唯一の日本人として参加、バウハウスの国際会員として積極的な芸術活動を展開、特に66年より毎年北極ラップランドにテントを張っての取材から生まれた「北極の太陽」シリーズで日本に紹介されるようにもなった。以降、在北欧40年、74年には国際彫刻シンポジューム企画責任者として世界52ヶ国180名の作家をスウェーデンに招待しイベントを成功させ、スウェーデン政府文化アカデミー賞を受賞、89年にはコブラ財団よりアスカー・ヨルン賞を受賞するなど現代作家としての地位を確立した。
一昨年には広大なRAUS中島由夫芸術センターをスウェーデンに開設しこれからの一層の飛翔が期待されていた矢先、今年8月妻文子さんが逝去された。今回のギャラリーオープニング企画展では文子さんの追悼展としての個展開催となる。弊紙からも慎んで哀悼の意を表したい。
(松)