1940年埼玉県深谷市に農家の三男として生まれ、1951年ゴッホの作品を見て感動、画家になることを決意、中学を卒業し上京して1956年東京で初個展を開催、その後前衛的なアクションペインティング、ダダイズムに共感し、ダダカンこと糸井貫二の知己を得た。糸井は国内での表現活動に精力を傾注したが、中島はその表現精神を海外まで広げ、迷うこと無く実践してきた。過激なパフォーマンスで度重なる警察連行の末、オランダ、ベルギーでは国外退去、スウェーデンに居を構えて本格的な活動を開始した。北極圏のラップランドにテントを張って取材を敢行したのもこの頃で、日本帰国展で「北欧の太陽」の画家と呼称されるのは1980年代、筆者が神戸の個展で中島と遭遇した頃と重なる。北欧で唯一コブラ運動に加わりアスガー・ヨルン、弟のヨルゲン・ナッシュと親交を重ねたことも大きく、後のウベボダ・シンポジュウムへと繋がり、欧州で現代美術作家としての名声を確立していくのである。それ以降も中島は、息をするように表現の可能性を追い求めていく。アクションペインティングに音楽、踊りを加味した即興パフォーマンス。舞台女優、写真家、映像まで巻き込んだ展開のエネルギーは尽きること無く続いている。
半裸姿もいとわず思いを具現しようとする中島は今年、83歳となる。子息アンデスの画商手腕もあって、2011年、新住居のヘルシンボリ・ラウスに床面積約800�Fの中島由夫美術館をオープンさせた。その後、同館企画のアーティスト・イン・レジデンスを発足させ、若いアグレッシブな作家の拠点となりつつある。
コロナ禍で、日本滞在が長くなったが、定期的に活動発表を実施、今展では、恒例のパフォーマンスに加え、ウクライナ支援のチャリティも実施。
掲載の「春の森」は、ウクライナへの侵攻後の何かが潜む森のイメージが残る。日が沈まない白夜の深層的映像の「白夜の1日」も。現在、スウェーデンで大規模回顧展(6ヶ月間)開催中。(松)
