Travel with the Sun
― 太陽と共に旅する ―

中 島 由 夫 展


● 1月17日〜27日 
● 銀座・ギャラリー枝香庵

 近年、新年明けに銀座・ギャラリー枝香庵で中島由夫個展開催が続いている。1940年生まれだから、今年85歳となるが、上半身裸同然でのパフォーマンスが盛り込まれている。初めて中島に接した人は大概驚きの表情で興味深く見守るか、顔を背けるかのどちらかである。作家はそれが自分の表現形態として作画と同等に意味付けされているから観者の立場に立たない。こびを売るのではなく、だからより深い自分なりの表現を模索するのだ。
 12歳でゴッホに憧れ、「日本のゴッホになる」と上京、日本画家の月岡栄貴や新構造代表・本目勇市の知己を得たが、作品は路上アート、アンデパンダンの自由な表現に傾倒、ダダカンとの出合いでダダイズムの世界に魅かれていった。パフォーマンスはその頃に表現の重要な核として中島の心に刻まれて、彼自身の蘊蓄が積み重なって今を形成しているのである。
 そう考えると、19歳で単独の片道切符でアジア・中東を越えヨーロッパま旅して、行く街々でアルバイトとパフォーマン
スを繰り返したエネルギーの強烈な強さは上京の頃にしかと中島の本質としてある。だから、常に前向きだ。旅の途中で幾度も公的な禁止、制約を受けながらたどり着いたのがオランダ芸術アカデミー、そこで良き理解者となるコブラの創設者・アスカーヨルンと弟のヨルゲン・ナッシュに邂逅する。が、政治運動に巻き込まれ国外退去。ベルギー芸術アカデミーに入るも、無許可のハプニングを実施し又も国外退去。それからスウェーデンに居を移し( 1966)、パナマレンコ、ヘイルマンと共にモスクワ、ロンドン、パリ、ベルリンなどでパプニングを実施。国費留学生としてイェーテボリ芸術学院に学んでいる。その頃より北欧、ドイツ他でバウハウス・前衛芸術集団(コブラ)の作家として注目を受けだした。
 筆者が初めて中島由夫を知ったのは、神戸で全日本美術を発行した2年目の1986年3月初め、日本では当初「太陽の画家」として紹介され、日本の画家と一線を画する作品展の在り方に大いに興味をもったことを思い出す。彼の最大の仕事は、アーティストの完全な自主運営による「ウベボダ・シンポジウム」( 1974〜77)と思うが、残念ながら実際の見聞きはなく、世界的な立ち位置を得たイベントとして語り継がれている。
 中島由夫はピカソに匹敵する多作作家であり、個展会場でも常に何かを描いている。今年の枝香庵でも彼のスタンスは変わらない。いつも元気をもらえる。筆者も2度スウェーデンを訪ねているが、異国の白夜も経験した。再度ゆっくりと北欧を謳歌したいと願っている。(松)

 

 

 

 

爆発