| 白日会 創立九十周年記念展より
煌めく油絵の色粒
(故)平松 譲
日本芸術院会員・白日会顧問の平松譲先生が昨年7月亡くなられ、白日会創立90
周年記念展には掲出作品『姫川浅春』が飾られ、黒リボンが付された。
白寿の祝宴後まもなく体調を崩されて入院、さほど苦しむこともなく「ありがとう」のひと言を残して静かにみまかれた。家族に感謝し、絵を描き続けられたことに感謝し、多くの人々に感謝しての「ありがとう」であった。人を押しのけて前に出ることはせず、高齢になってからも自分のことは自分でやり、名前のごとく譲り合いの心をもって、寡黙のうちにひたすら絵を描き続けた生涯であった。
平松は1914(大正3)年三宅島に生まれた。小学生の時、新たに赴任してきた図画担当の先生に写生の喜びを教えられ、島中をスケッチして回った。高等尋常小学校卒業後、東京池袋の豊島師範学校に進み、やがて能勢洋画塾に通い、ここでの伊藤清永との出会いが後の白日会との縁となった。
画壇デビューは19歳、帝展初出品、初入選で、2人の妹が午睡する『樹下』は空襲で消失したが、ここから始まった80年の画業の原点となり、この作品にこめた制作への情熱、家族愛と故郷三宅島への思いは変ることはなかった。
平松の量感・質感を闊達な筆致で骨太にとらえた男性的な風景作品は、三宅島の勇壮な自然に育まれた豊かな感性の所産であり、それが特徴でもある赤色は、噴火によって流れ出た熔岩大地の色なのだ。
『姫川浅春』はめずらしい雪景色で、自然は彩りを失って灰青色に沈んでいるが、青色を映す川面の青、セピアの枯木の芽吹きを間近にした茶色の細やかな諧調、明暗を孕んで微妙な変調を展開する雪の表情など、自然と対峙し、スケッチを繰り返すことで鍛えた眼差しは確かである。
遠く冠雪の山は白馬連山であろうか、その山襞に遺されたナイフの力強い痕跡は、静かに流れる姫川と良き対照を示して、冬景色に春近しの情感と自然の息吹きを吹きこんだ。そしてその堂々とした構成と骨格は何よりも画格を大きくしている。(中野)

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