第73回 新制作展より

石阪 春生

「猫と石段〈女のいる風景〉」

 

 〈女のいる風景〉という題名は、作者・石阪春生氏の代名詞、いや、同意語と化している。それほど長くこの題名で作品を描き続けている。昨年の制作になる自画像作品にも〈女のいる風景〉と題を付している。
 掲出作にも女がいる。長い髪をたらした背中をこちらに向け、左横顔をみせている。女の足もとと卓を挟んで西洋ドールが置かれている、女と三角形をなして。
 画面両脇から石段が相称的にせり上がり、その頂点に猫が鎮座している、首を立てて毅然として。石段にはフルーツや器物などが置かれ、正面にはこれも相称的に二つの三角屋根の家が配され、積木のようにレンガ石が壁にも石段にも描き込まれ、中央の卓の周りにも花や枯枝や枯葉が隙間もなく埋め尽くされ、とにかく賑やかで密度が濃い。この濃さも石阪絵画の特質かもしれない。
 ところで石阪氏にとって画中の〈女〉は何なのだろうか。〈女〉はどういった存在なのか。
 それは、石阪春生氏原作・演出の舞台における主役であることは誰にもわかる。しかも憧憬の、理想の女であり、当然の如く画家の分身であろう。女は画家と同じ景色を見、画中を自由に歩き周り、旅をする存在なのだ。旅を暗示するのは赤と青のロープであり、それはまた生命の象徴でもある。
 石の階段や三角屋根の家は変らぬもの、猫や花は命に限りあるもの、この両者をつなぎ橋渡しをするのが西洋ドールであり、ランプなどの器具や卓は画家の日常の代弁者とみるのは、うがち過ぎであろうか。
 画家自身、自分のこうした画風を「増殖的構成画」とも名付けているが、女を中心にどちらかといえばコラージュ的なコンセプトの画面ともいえる。
 自分の過去・現在・未来を女を中心に次から次へ増殖的に画面を埋め尽くす。それはあくまで結果ではあるが、予測されていることでもある。結句、濃密な画面が出来上がるが、そこに一貫しているのは、〈自分がどこから来て、どこへ行くのか〉であり、自分は何者かと問い続ける旅なのだ。(中野)