ーセレベス追想ー
庄司 栄吉
スケッチ集より (
2005年4月発行)

 日本芸術院会員で光風会理事長を務める庄司栄吉氏が、この度『セレベス追想』と題したスケッチ集を上梓された。
 庄司氏は太平洋戦争中、海軍教員として旧オランダ領東印度セレベス(現在のインドネシア・スラウェシ島)に赴任、二年間メナド近郊のトモホン中学校と師範学校で教鞭をとっており、その頃の大切な思い出を一冊の本として残しておこうと昨年の秋から取りかかったと聞くが、折しも昨年末の12月26日に北スマトラを襲った巨大地震とこれに伴う大津波。インドネシアを中心とした未曾有の被害に心を痛め、尚更に美しい自然と純真な現地の子供たちの心を残しておきたいと思ったに相違あるまい。
 東京美術学校(現・東京芸術大学)を卒業した庄司氏は、その翌年の昭和18年秋、海軍教員となり北セレベスへと向かった。ミッドウエー海戦で大敗北を喫した後の厳しい戦局にあり、輸送船は常に敵の潜水艦に狙われるという中、翌年1月の末に現地に辿り着いたという。このことからも氏の運の強さが感じられる。「アジアは一つ」の理念を純粋に信じて現地の子供たちに接したという庄司氏、一生涯忘れられぬ経験を持つことができたと今でも語っている。事実、子供たちには非常に人気があったようだ。氏は美術の他、日本語と体操を受け持っていたが、写生で屋外に連れ出したりマラソンも生徒と一緒に走って触れ合いの中での教育を心がけていた。戦後40年経った1985年、氏の教え子達がジャカルタで初めて同窓会を開きたいと毎日新聞に当時の日本学校の4人の恩師を探して欲しいという記事が載った。その1人が庄司栄吉氏で、残念ながら渡航手続きが間に合わずこの時は再会が叶わなかったというが、このエピソードから如何に強い信頼が築かれていたかが分かろう。
 スケッチ集は全68頁、戦後日本に持ち帰ることが出来た60点程のスケッチと油絵から構成されており、戦時下にあっても人間的な情感豊かな人々と風情ある風景が捉えられている。    (松)


「ソンコウにサロンの正装で、放課後に何回か通ってくれて、
15号の油彩画に仕上げた。折り目正しい生徒だった。」