光風会会長
日本藝術院会員
庄司 栄吉
日本藝術院会員・光風会会長の庄司栄吉氏が2月7日に肺炎のため御逝去れた。97歳であった。
弊紙とのお付き合いも長く、20周年の時には発起人として神戸まで足を運んで頂いた。氏の作品が初めて紙面に登場したのは昭和62年の12月号。第19回日展で文部大臣賞を受賞された作品「音楽家たち」である。庄司氏といえば『音楽家』という程、昭和40年代からシリーズとして続け、後ライフワークとなったが、実際に音楽家の家族である。「ずっと音楽が好きだということもあるし、フォルムとしての面白さがありますから。動きがあるものが好きなんです。でも赤松麟作先生や寺内萬治郎先生が『生き生きした、とにかく自然の中の不動のものをつかめ』とよく言っておられて、何を描くかは問題じゃない、それをつかむことが大切なのではないかと思っています」と語っていただいたことを覚えているが、昭和16年の第4回新文展に初入選し、日展作家としての出発作品となった「庭にて」の、柔らかな光を導いて初々しい女性の清楚さをひきだした並々ならぬ写実力?初めの特選は昭和27年「K牧師の像」で受賞しているが、次ぎの菊華賞(特選相当)まで15年を要しており、その時の作品が「音楽家」なのである。恐らく肖像的人物作品から一歩抜けた自分の世界を持たなければと、様々なテーマを探求・試行した結果「音楽家」に行き着いたのだと思える。
昭和64年に師・寺内萬治郎(藝術院会員就任4年目)が74歳で逝去する。その影響だろう、庄司氏の藝術院賞の受賞は大臣賞受賞後13年を経た平成12年で正に臥薪嘗胆。しかし、その受賞は恩賜賞を伴うもので、同年に藝術院会員就任という快挙となった。庄司氏83歳の時である。その後、記憶に残る出来事は平成17年の「セレベス追想」と題されたスケッチ集の上梓。海軍教員として旧オランダ領東印度セレベスに赴任、二年間メナド近郊のトモホン中学校と師範学校で教鞭をとっており、その頃の数々の出来事を語った氏の笑顔が今も思いだされる。ご冥福をお祈りしたい。合掌
(松)
